「意識高い系」でもいいんじゃない? 好きな場所だもの。
初めてスタバに行ったのは、大学に入った時。
『家でも学校でも”勉強できる環境がない”』と感じていた私は、テスト勉強する時やレポートを書くために、スタバに通っていた。
他のカフェにも行く機会はあったけど、1番スタバが好きだった。
『どうしてスタバだったのかな?』を考えてみても、正直なところ、よくわからない。
禁煙が良かったのかもしれないし、いつも通っていたスタバの雰囲気が良かったのかもしれない。
ただ、初めて飲んだチャイが好きだったのかもしれないし、カフェモカが飲みたかったからかもしれない。
理由を作ろうと思えば作れると思うんだけど・・・やっぱり本当の理由は解らない。
ただ、スタバが好きで、今でもふらっと立ち寄ることがある。『なんか好きだな』と思う瞬間がある事だけは、変わらない。
※※※
ブログを書くようになって、パソコンを持ち運ぶようになった頃は、スタバに通ってた。毎日・・・ではなくても、2日に1度はスタバにいたと思う。
ある日、「スタバにいる人って、意識高い系だよね~」と言われた。その言葉に、嫌な感情がのってきた気がした。
そして、「月にいくらかかるの? そんなに高いお金を払って、コーヒーを飲みに行く意味が解らない」と。
その言葉を聞きながら、『何にお金を使っても自由でしょ?自分で稼いだお金なんだから、別にいいじゃない』と思って、彼女の言葉を軽く受け流した。
スタバに行くたび、彼女の言葉にじわじわとダメージを受けた。
まだブログを書き始めたばかりの私には、『スタバ=意識高い系』『スタバでMac=意識高い系』と言うのがすごくプレッシャーだった。
私はパソコンに慣れていなくて、入力が遅い。
今も、『右手9割・左手1割』みたいな状態で文字を入力する。
・・・本当は、左手で打つのは、AとSだけだと思う。自分でも、『逆にすごいな』と思ってしまうほど・・・。
だから、スタバでパソコンを開くのが、ものすごく恥ずかしかった。
いつのまにか私は、周囲の視線が気になりすぎて、スタバに通えなくなった。
そんなつもりがなくても、『意識高い系?』と思われてしまうのが恐かった。”意識の高い人”ではなく、”意識高い系”・・・そのニュアンスが、すごく恐かった。
※※※
時間が経つにつれて、『なんか変だよね?』と違和感を感じるようになった。
お金を払って、スタバに行き、そこでパソコンを開く。たったそれだけだ。
自分がスタバに行ってお茶してる時、友達と話してる時・・・パソコン作業をしてる人を見て、そんなに過剰に反応することはない。
『大変そうだな』と思うことはあっても、『意識高い系だな』とか、『人に見られることを意識してそうだな』『自意識過剰だな』なんて思うことはない。
私は一体、誰のどんな言葉に反応してるんだろう?
その言葉は、本当に私が気にすべき問題だろうか?
私に『スタバに行く人って、意識高い系だよね』と言ってきた彼女は、彼女自身の中にそう見えてしまうような何かがあるだけかもしれない。
その言葉を聞いたからって、私がスタバに行くのを辞める必要なんてない。
それに、意識が高いって、悪いことじゃない。
全員ではないかもしれないけれど、『この人すごいな』『こんな風になりたいな』と感じる人って、ある程度、意識の高い人だと思う。
意識が低くて、やる気のない人や、文句ばかり言ってる人を『かっこいいな』『こんな風になりたいな』なんて思わない。
普段はおちゃらけているように見えたり、家族サービスたっぷりの社長さんだって、本当に大切な所では、きりっとした顔をしてる。やっぱり意識の高い人なんだなって感じられる部分はある。
別に、『意識の高いことが良いこと!正義!!』ではないけれど、『意識が高いことは、悪いことじゃない』と思う。
その”意識高い系”がモテるためとか、『かっこいいだろ!?』みたいな気持ちでやってるのなら、私にはわからない。
でも、『意識高い系だ』という意識じゃないのなら、そのままでいいと思う。
それに、『意識が高いだけで、結果を出せていないからかっこ悪い』と思う時もあるかもしれないけど、そんなことはない。
結果を出してる人も、行動したり、成功する前の”かんがえる時間”は、ある意味、”意識高い系”だと思う。
その状態から、行動して、結果を出しただけだ。失敗しても諦めず、何度も挑戦して、行動し続けた先に、成功があった。
そんなことを考えていたら、『”意識高い系”って、いいんじゃない?』って思えた。
※※※
そんなことを考えていたのも、何か月も前の話。
今の私は、何も気にせず、スタバでブログを書いてる。気にすることがあれば、『混んで来たら、お店を出ようかな』とか『キーボードの音、うるさすぎないかな?』とか、そんな程度。
今日は、マッサージを受けに行った。セラピストさんとの相性が悪かったのか、気持ちが沈んでしまった。
『文句を言っても仕方ないし、スタバによって帰ろう』と思って、スタバでチャイを注文した。
店員さんが、何かを話しかけてくる。よく聞こえなくて、もう1度聞き返すと、申し訳なさそうに、「チャイがお好きなんですか?」と聞かれた。質問に答えながら、少し話す。
たぶん、たいした内容のは話はしていない。きっと、店員さんはすぐに私を忘れるだろう。
だけど私は、その短いおしゃべりに癒された。
ちょっとおどおどして、不安げに話しかけてくれた店員さんが、思いっきり笑ってくれるようになって。たったそれだけで、なんだか嬉しい。
そういえば・・・社会人になって辛かった時期、自分へのご褒美にスタバに行ってた。たまに店員さんが話しかけてくれたり、顔を覚えてくれるのが嬉しくて、そこが居心地のいい店舗になった。
沖縄に一人旅をしていた時、1週間近く人と話せなくて、寂しくなった。寂しすぎて、家に帰るか迷っている時も、スタバの店員さんが一緒に笑ってくれた。カードを飛ばしてしまった私に、驚きつつ、一緒に笑ってくれた。私は『もう少し、一人旅を続けよう』と思った。
スタバに通ってるうちに、私は店員さんたちにたくさん癒されたんだと思う。
そして、その場所でお茶をしてくつろぎながら、すごく癒されて『明日もがんばろう』『今日も頑張ろう』と思えた。
きっと、スタバは私にとって”特別な場所の1つ”なんだと思う。
だから、誰に何を言われたとしても、好きな場所を手放す必要なんてない。
自分が『意識高い系なのかな?』と恥じたり、『意識高い系だ』と思われるのが嫌だから、スタバに行くのを読めようなんて考える必要はない。
好きなら、その気持ちを大切にすればいい。
それだけのこと。
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