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他者が求めるもの・他者の視点も大切だけど、今は、自分が求めるものを大切にしたい。

「自分がやりたいこと・求めてるものよりも、他者が求めてるものをやりなさい」と言われる。

「自分から見えるものと他者から見えるものは違うから、他者からどう見えるかが大切なんだ」と言われる。


「他者から見える私」が「自分の思うわたし」とは違っていて。
「他者から見える私」がとても参考になることがあるのも、わかってる。

自分がやりたいことにこだわり続けるよりも、他者の欲求を満たした方が、生活が安定することも知ってる。


なんだけどさ、わたしはまだ『自分の感覚』を大切にしたいと思ってる。
「自分がやりたいこと・求めてるもの」をら追いかけたいと思ってる。

だってわたしはまだ、それをちゃんと追いかけたことがない気がするんだもん。


セラピストだった頃のわたしは、比較的、自由だった。
自分の感覚、やりたいことを大切にしてた。
…だけど本当は、お客様が求めてるものと、自分のやりたいことの違いの中で葛藤してて。
『わたしのやってることは求められてないから』『お客さんたちが求めてるのは〜だから』と思って妥協してた。

他者から見れば、それはわずかなものだったんだと思う。
わたしは自由に見えてたのかもしれない。

だからずっと、心のどこかで妥協してた。だから、ずっと「本当のわたしの居場所」を探してた。


ブログを書き始めてからのわたしは、ずっと自分の言葉・文章に自信がなかった。
だから、自分を貫くことがでず、利益のために書きたくないものを書いてた。
利益が出てもそれを認めることができず、noteでは別の自分でいた。

だけどね、この数年間、自分に向き合ったり、文章を書いたりすることで、言葉を見つけたんだと思う。
「魂のスピーカー」なんて言ってくれた人もいたけど…、数年前までのわたしは、自分のことを言葉にすることなんてできなかったもん。

この数年間、わたしは「自分のやりたいこと」を叶えたくて模索してた。「本当にやりたいこと」では結果がでず…。
そもそも、「本当に書きたいこと」が書けないままだった。


わたしね、
他者からどう見えてるかとか、他者が何を求めてるかを、ずっと大切にしてきた。…というより、縛られてたんだと思う。

『逃げたい』『自由になりたい』と思いながらも、恐くて向き合えなかったんだと思う。

今やっとね、『どうでもいいな』って思えるようになってきたの。
他者の反応じゃなくて、自分を大切にして、自分の感覚で生きてみたい。

誰かは『バカだな』って、『そんなの叶うわけない』って思うかもしれない。
だけどさ、何が起こるかなんて、わからないじゃない?

成功するか否かの問題じゃなくてね…、
少なくともわたしは、今の自分が『やってみたい』と思ってることにチャレンジしてみたいと、満たされないと思うの。

だって、セラピストになった頃からずっと、周囲の人たちがどれだけ認めてくれても、わたしはちゃんと満たされることがなくて…。ずっと「わたしの居場所」を探してたんだもん。


なにより、わたし自身が求めてる。
わたしに見えてる世界を表現してみたい。
自分のやりたいこと・求めてるものにチャレンジしてみたい。

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