まず、僕は、未だに自分に自信があると胸を張ってはいえない。
しかし、自信がない自分がいるということは、
自信を持って言える。
中学校の時、自分に自信がないことに気づいた。
そして、高校受験、県で1番の進学校を受けた。
なぜなら、そこにいけば、自信がつくと思ったからである。(他にも理由はたくさんあるが)
結論、そこに行ったからといって自信がつくことはなかった。
胸を張ることができる場面は増えたが、
なんだか変な自信だった。
予備校に行ったり、大学で様々な方に会えたことで気づけたのだが、
それは、"その環境にいる(た)からこその自信"
でしかなく、
結局、"自分自身" に自信を持つことはできなかったのだ。
大学の先生との出会いもあって、今では、
ありのままの自分に自信を持つことが少しずつはできるようになった。
別の言葉で言い換えると、
見ないようにしていた自分を少しずつだが、受け入れ、認められるようになってきた。
だいぶ、前置きが長くなったが、
このタイトルにある『盾』は、
僕の過ごしている学科の先生が話してくださった話で、
あるアニメの登場人物の持つ盾は、
最強の盾ではあるのだが、
その人が持たないと、重くて使えない。
という話だった。
その元の話を詳しくはわからないのだが。笑
そして、それに付け加えてくださったのは、
"外見" だけでなく、それに"中身" が伴っていなければ、"盾" の意味をなさない。
ということだった。
これを、僕の高校のネームバリューに置き換えると、
"外見" だけでなく、それに"中身(人間性)" が伴っていなければ、"盾(ネームバリュー)" の意味をなさない。
になると思っている。
僕は、幸運なことに素晴らしい環境に身を置くことができた。しかし、今では自信のなさから、その環境にすがろうとする自分も出てくる。
環境はたしかに素晴らしかった。
しかし、その環境で何を学び、何を得て、
これから先に何を生かせるのかを考える方がもっと重要だと感じる。
素晴らしい環境に身を置いていても、
困っている人に手を差し伸べることができないのであれば、果たして何を学んでいたのだろう。
過去のことを話す自分が、"空っぽ" でないように願うばかりである。