僕の生きづらさ
僕には、何もできない自分では居ちゃいけないという痛みがある。
そして、それはあらゆる場面で効いてくる。
今は、研究室を一か月ほど休んでいるところ。
人間関係による悩みで、その人と同じ空間にいるだけでお腹を下すようになった。そこから1週間ぐらいは頑張ったが、休む決断をした。
休んだ自分の正当化みたいな文章になりそうだ。(笑)
休んで、何もしない時間が増えた。でも、何もしないことに耐えられなくて、よく読書をしていた。その時によく読んでいたのが、
『ザ・メンタルモデル』(由佐美加子・天外伺朗著)と
『実存的変容』(天外伺朗著)だった。
『実存的変容』の中に、深層心理学の世界でいう”シャドーの投影”という
現象があることを知った。
それがとても面白かったというかタイムリーだった。
”シャドー” は、”ペルソナ”(こうあるべき)の裏で抑圧された部分のことで、実際にそのことをしている人を見ると、抑圧した自分をその人に投影して、必要以上に不快感を感じるということらしい。
なるほどな。その視点で今の現状を分析してみてもおもしろいかもと思った。
僕の悩みの種となっているのは、研究室の先輩だったのだが、
今ではそれだけではない。(そこが生きづらさになっている)
先輩は、平気で嘘をつくし、権力や経験で支配してくるし、
束縛されるから自由はないし、逃げても捕まえられるし、
弱い者いじめをするし、自分が正解だと思っているだろうし、
他人と仲良くなるのが下手だと思う。
よく考えれば、僕が抑圧していた部分の塊みたいな人だった。
同じ人に接しても、悩む人と悩まない人がいる。
それは、もしかしたら自分が自分で自分を見ているからかもしれないなとも思う。
なんで抑圧していたのかと言えば、最初に書いた痛みがあるからだ。
そして、それが再発してしまわないように自分を守っていたからだ。
ありのまま、なにもできない、弱い自分では愛されない、
人が離れていく、価値がないという経験がたしかにある。
だからこそ、人に好かれる自分でいなくちゃと強く思っていたんだな。
うん、納得。
綺麗な世界で、綺麗な自分で生きていようと思っていた。けど、
苦手なことも、クソだと思う経験も、弱い自分も、強がる自分も、
色んな自分が確実に自分の中にある。
痛みは確実にあるし、なくなることはきっとないのだから、
ちゃんと痛いときは痛がって生きようと思った。
痛みを避けるために頑張ってきたことも沢山ある。
勉強も沢山頑張った。誰よりも特別な自分であろうと頑張った。
お疲れ様、自分。
最近、研究室に行ったとき、
休んでいる自分には居場所がないように感じられた。
そんなときに、厳しい一言もいただいた。
それに対して、怒りがこみ上げる。でも、裏側には深い悲しみがある。
やっぱり生み出した価値でしか自分の価値は判断されないのだなという痛み。いや~、ほんとに痛かった。(笑)
相変わらず、生きづらいなと思う。