感じていること おなじで違い~大丈夫だよ~

同じでありたいと、思うとき、それは、
本当は自分は「違う」ということを感じているから。

そしてその時、違いに
ひとはあなたはどんな意味を見出しているだろう。

そこに居ること、出逢ったこと
既にそこには宇宙(そら)の意味があり、意図があり
本当は争ったり奪い合ったりする謂れはまるでないのだ、け・れ・ど、

残念ながら作られた習慣、【 くせ 】によって、そう半ば自動的、
半自動的反応として そう させられてしまっているところも大きい。

もよおし、排せつする、ということ
眠気をもよおし、入眠すること

その至ってシンプルな生物、動物的欲求に対して、ひとはその時代、誰かが何かの理由で作った理由や意味付けに流され、選択を行いがちになる。
そのため、その言動の上に、本来必要のない思考がどんどん上塗りされてしまい、生物的欲求の意味、意図をうっかり読み間違ってしまうということも、起こってしまうのだ。

つまり、誰かや、何かの「都合」優先の選択に、半自動的に突き動かされがちに在る、ということを、じぶんへのひとへの許しとして置いたとしたら
どんな気持ちがするだろう。

そのうえで、
そんな風に一呼吸おいたうえで、いま一度感じなおしたとき
その、選択はあなたにとってどんな意味を為すだろう。

本来的意味とは少しズレてしまうけれど、そのすべてが、為されているものにとってのやさしさ、でも  ある。
けれどその類いは、残念ながらだれも勝たせない。

豊かな循環にのることは、いつでもできる。
あなたが生まれ、その人が生まれいでそして、出逢うことができた時点で
その姿カタチ、先祖、場所、風貌、抱くそれ歩むそらのすべてがことなるのと同じくらい等しく共に歩む道が用意されているのだから。

踊らされてはいけないよ。

自ら、やさしく吸い、あたたかくたっぷり空気を受け入れ
存分に軽やかに吐き出してあげる。

呼吸を、言葉を、想いをそんな風に扱ってみたら、
なんとなく自然にみえてくるものがある。

あなたの大切さが、ひとのありがたさが。

そもそも、違うのだ、違って存在するために
違っているのだから。

深く、感じてみること。その先、その中には
残念ながら、無限の可能性しか見いだせない。

そもそも同じ生命、おなじ人、
ここなら大概、おなじ日本人。

それぞれで、満たすことのできる充分すぎるほどのことが、いまのあたりまえの少しそとに、降り注いでいるとしたら
あなたは何を見、そして、どんな態度を

選びますか。


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