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じぶんらしくあること
ひとが幸せに生きるということ、奇跡ともいえるこのかけがえのない生命を享受するということの素晴らしさをさまざまな角度から探求して生きてきた。
ひとの育み。こころ、身体、意識、ひとの存在のすべてはまるで宇宙になぞらえて表現でき、体感できることを、この身でリアルに視て、感じ、めんめんと受け継がれてきた叡智のゆえんにふれた。
魂のチカラ。スピリチュアルな体質から、生命の流れ、必然に幾度となく触れてそして
人生の流れに誘われるままに表現し発信し、素晴らしい出遭いに恵まれた。
じぶんのチカラ、存在、体験を恐れず進もうと、挑戦し続けた一年を楽しんでみた。大きく無意識に、風穴をあけて。
それは、じぶん自身にとってじつはとてもリスキーだった。
心の声に従い、流れにのり、ひとの存在の深み~Tao~にふれながら生きることが選ばれた。
よろこびを、光りを、輝きを好み、選択しつづけて生きたことで、うっかりこの三次元においてさえまるで、SFか、映画か、ドラマか?!とツッコみたくなる程の闇、恐れの世界を垣間視た。
たしかに、そんなこと無いかのように生きることもできるかもしれない。
じぶんには関係ないと。
でもそれは、ある。
伝えるために、うまれてきた。
わかち合うために探求し続けた。
どんなことにも、意味を見出すのはじぶん自身だとおもう。
価値をみいだす、産みだすのは。
外に向かい動き、活動し、働きかけ続けてきて
そして、この歳でまるで羅生門に立っているような、いまを味わっている。
ひとからしたら、外からみたら、たしかに
身体じゅう、細胞じゅうを感じ、それらからのメッセージを体感しながら生きるということの意味、凄さ、重みはわかりづらいかもしれない。
じっさい自分自身でも、ひとのように、なにもないかのように振る舞うことを選びがちだったのだから無理もない。
そのほうが生きやすいのではないか、子の母として在りやすいのではないかと、、想ったから。
じぶん自身の個性を、サガを、ないもののように扱うことは
自身の存在さえも否定するような、そんな失礼な行為でしかない。
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