コミュニケーション・ギア~深さと、つながり~
ひとには、頭、こころ、身体、意識があり
それらを一つものとして扱っているかどうか
「どう感じ、どうしたいのか」
ひとにとってそれ以上にたいせてなことはない。そんな話しのたくさんの応用、時間軸、感覚軸、
価値、
思い込み、
そんな話しをたくさんたくさんお伝えさせていただいてきました。
頭の声、身体の声、意識の声、
どれほど丁寧にたいせつに、向き合い、扱い、応えてゆくか、いるか、問うか。
ひとつ同じ意識の中を、別々の身体、存在を有して違う表現をだしあい、聴きあい、
響かせあう。
感じあう。
いま、東北の静かな場所に避庶ちゅうです。
東北の方々に自殺が多いことは、何度か勝手に気にかけていたことがあったのですが、
ここを訪れて、なんとなく【わかる】気がしました。
この静けさは、生命そのものの力を喚びやすいです。
そうなると、現代の、あまりも余計な物質、波、都合により強引に創られた不自然な時間感覚、時の刻みに追われながら、
まるでそれが本当で、まるでそれが当たり前であるかのような嘘の思い込みにさらされつづけたとしたら、
生き心地わるすぎだと想うのです。
都会できづき始めたひと人は、瞑想やヨガ、アーシング、ヒーリングetcなどの手をかり、
散々足した後に、引くことのたいせつさに目覚め、どんどん余計を削いでいってもおられますが、
このような土地、地域の特性があるなら、そもそもそっち、
存分にそがれた、生命本来の在りようにとても近くも在りつづけていることも可能だと思います。
なのに、学校で家庭で横行しているのは、人、生命本来の性質からはかなり逸脱した、
売るため、同じに手っ取り早く扱えるため、
ただ、揃えるために採られている規則性、やり方、
【扱い】
ばかり。
違和感だらけなはず。
いま、ここちよい休息の中、はなしたい気付きが溢れています。これが伝えられたら、詳しく拓けたら、
なんだっ!ってなること、人、、ところもなかなかたくさんあると想います。
溢れすぎて、処理しきれないほどです。
人の生命本来の、在りと
現代マジョリティー化している様々な洗脳の
簡単に、生命よりによせられる意図、です。
いろんな方やパターンを想定しながら、表現していけたらと思います。
まずは、わたしの快適、のびのびの確保から
そして、浴び、受け取りつづけている叡智の伝授へと向かいます
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