飛騨ではあたりまえの鮎が数多の高級料亭で扱われるようになった話
こんにちは、ヒダカラの共同代表の舩坂です。今回はヒダカラが創業以来ブランド化に力を入れている「飛騨のあばれ鮎」について紹介します。
飛騨のあばれ鮎のブランド化を5年間やってみて
ヒダカラでは5年前から岐阜県飛騨市宮川町の鮎のブランド化に取り組んでいます。その結果……
と小さな町の自慢のひとつとなってきました。
▼NHKで東海3県で放送された特集の様子▼
しかし、そんな鮎ですが5年前は私も含めて、ほとんどの地元の人がその価値に気が付いていませんでした。
室田名人との衝撃的な出会いと飛騨のあばれ鮎の誕生
飛騨は自然が豊かなので、川がきれいで、春先から河川では釣りをする人が多くいます。ただ、私を含めて多くの地元民にとって、鮎は「夏になると釣り好きの親戚やご近所さんからもらうもの」くらいの認識しかありませんでした。
そこで出会ったのが当時、飛騨へ移住してきたばかりの室田正さん(以降、室田名人)でした。
室田名人は一言でいうと「鮎釣り界のレジェンド」。マシンガントークとあふれ出るエネルギー初めからて会った時の印象は「この人はカリスマだ!」という強烈な印象でした。
そんな室田さんが、日本中釣ってきた結果、現役を退いて、「俺はこの鮎を釣って死ぬ」と惚れ込んだのが飛騨の飛騨市宮川町(宮川下流漁協域)の鮎でした。「こんな鮎はもう、ここにしかおらんで。この鮎を日本中に広めよう」と猛烈な勢いで話す室田さん。
「この人がここまで言うなら、この鮎をなんとか広めたい!」と想い、生まれたのが「飛騨のあばれ鮎」です。名人の「竿を曲げるほどあばれる」「釣って良し、食べて良しの最高の鮎」という言葉からインスピレーションをもらい、誕生しました。
飛騨の外からきたよそ者の室田名人と域外からUターンや移住で来た若者のチームがこの「飛騨のあばれ鮎」プロジェクトをスタートさせました。
クラファンの失敗から学んだもの
ネーミングやロゴが決まり、最初に挑戦したのが個人向けのクラウドファンディングでした。猛烈な勢いで漁協や市など関係各所を巻き込み、想いのたけをぶつけた渾身のクラファンでしたが、結果が目標としていた100万円に大きく届かない結果となりました。
▼クラファンページ▼
「失敗」と書いたものの、支援者や知人から様々なフィードバックをもらえたのは大きな収穫になりました。
川魚を食べたことがない
鮎に馴染みがなさすぎる
食べ方が分からない
1尾が高い
家で調理するのにはハードルが高い
魅力を伝えていたつもりでしたが、お客様との間には想像以上にいくつもの壁があり、丁寧にそれを取り除く必要があるのだと痛感しました。
飛騨から豊洲へ
そして次に挑んだのが豊洲への卸でした。海なし県の岐阜、さらに山の中にある飛騨には豊洲へのコネも直通ルートもなく、色んな人に相談して何とか豊洲の大卸への販路と富山経由でのルートを開拓することができました。(これだけでも書けそうなくらい、たくさんの方にご協力頂きました。)
プロの目にはどう映るのか、心配でしたが出荷分はすべて想定していたよりも良い値段で完売し、「仲卸の評判も良好。さっそく指名買いもあった」と高評価がもらえました。ここで外部のプロからも品質に高い評価をもらえたことがその後、卸を増やしていく大きな自信になりました。
試行錯誤の中から見つけた他との「違い」
それから3-4年、飛騨のあばれ鮎の魅力を伝えるために色々と試行錯誤を重ねてきました。
個人向けのネット通販の開始
食べ方のレシピの作成
レンチンで食べられる塩焼きのリリース
新宿行きの高速バスを使った貨客混載輸送と京王ストアでの販売
活きの良さを伝えるため活魚の豊洲卸
室田名人との鮎釣り体験
料亭への卸
地元紙をはじめ東海圏や関東、関西のテレビに出たことも多数ありました。
この1-2年で少しずつ「飛騨のあばれ鮎」というブランドが認知されていくのを感じてきました。ブランド化とは「違い」をいかに見つけ、伝え、実感してもらうことで選ばれやすくなることだと考えています。食べ物は違いが数値化しにくいのですが色々とやる中で、飛騨のあばれ鮎と他の鮎との違い、またそれが伝わるポイントがみえてきました。
違いを伝えるポイント
色んな取り組みをする中で飛騨のあばれ鮎が他と違うということが伝わるようになったポイントを改めて考えてみました。
①ネーミング
興味をもってもらうきっかけとしてネーミングはとても大事なものでした。社内で何度もブレストして、生まれたネーミングなのですが、「清流の〇〇鮎」のような聞き馴染みのある名前ではなく、あえて「あばれ」と付けることで疑問が生まれ、取材につながったこともありました。
②ストーリーをビジュアル的に伝える
というような話は何度したか分かりません。鮎の背景にあるストーリーが伝わることで、イメージが湧き、活きの良さや美味しさがより臨場感をもって、解像度がたかく伝わっていくのだと感じました。
人のストーリー移住までして広めたいと思った室田名人の熱意や、地域の良いものを広めたいと思ったヒダカラという会社。鮎に関わる周辺の人に興味をもってもらうことも多々ありました。
③違いを体験、体感できる
実際に飛騨に来て室田さんと会い、実際に河川を見て、鮎を食べた料理人の方は熱烈なファンになってくださる方が多くいます。あるお店は料理を出すときに「鮎釣り名人の室田さんが惚れ込んだ鮎」といって料理を出しているそうです。実際に体感した感動が伝播してお客様にも伝わると言っていました。
一般の方に新鮮さを感じてもらうために高速バスで鮎を運び、その日の夕方には都内スーパーに並んだことも大きな話題になりました。今年開催した鮎釣り体験も「鮎の活きの良さ、室田名人の名人技が体験できる」と多くの参加者があつまり、メディアでも取り上げて頂きました。
④個人と卸で伝えるべきことが違う
これまで個人向けの販売しかしてこなかったので、料亭への卸では伝えるべきことが違うことは大きな気づきでした。和食の料亭にとっては鮎自体は夏の風物詩として馴染みのある魚なので、魚の情報以上に、いかに鮮度、下処理のレベルが高い鮎が安定して届けられるかが重要でした。
⑤継続して発信する大切さ
たった5年のプロジェクトですが、意外と5年間続いているプロジェクトは多くないようです。5年目の今年は改善が中心で目新しい大きな変化はありませんでしたが、続けているということが1つの価値となって、いくつか取材をして頂くこともありました。
課題と今後目標
飛騨のあばれ鮎はじわじわと広がり、今年も全国の方に食べて頂き、多くの料亭にも取り扱って頂きました。
試行錯誤しながら走ってきましたが、現在の一番の課題は室田名人の後継者探しです。室田名人というカリスマ的で、鮎の扱いにも慣れた方の後継者を会社として、また地域として見つけていくことです。
そして今後の目標は鮎を飛騨の夏・秋の風物詩にすることです。鮎は天然の魚なので販売量を増やすにはビジネス的には限界があります。だからこそ飛騨に鮎を食べに来てもらうことで、地域にお金を落してもらい鮎を通した地域おこしを目指しています。
2023年には鮎が食べられるお店がのった鮎マップをリリースしました。産地で食べることで、地元価格で、且つ飛騨の雰囲気を感じながら多くの方に食べて頂きたいです。(そして飛騨にお金を落してくださいw)
室田名人の強烈な想いに巻き込まれる形でスタートした「飛騨のあばれ鮎」。これからもっと多くの方に飛騨の鮎の魅力を伝えるために取りくんで行きます。