中華そば屋のレジ横の盲導犬の置物のこと
ある日、下町の路地裏の中華そば屋で、らーめんを食べていたときのこと。
奥の席で1人でらーめんを食べていたおじさんが、お会計お願いします、ってレジに。
そこまでは、いたって普通の光景だから、とくに気にも留めず、自分のラーメン啜ってたんだけど。
「あのー、すみません、わたくし、盲導犬協会のものなんですけれども」って、おじさんがお店の人に言ったもんだから、わたしの箸を動かす手は、ちょっと止まった。
わたしには全盲の友人がいる。
そしてその友人が盲導犬と暮らし始めていて、でもワンコにわたしはまだ会えていなかった。
犬が苦手で、触ることもできない、舐められなんてしたら卒倒しちゃう、って言ってた友達が、盲導犬と暮らすことになったのもびっくりだし。
ものの数週間で、もうワンコかわいいかわいいかわいいって、友人が逆にワンコ舐めまわしてしまうんじゃないかっていうくらいの、溺愛っぷり。
毎週のように「今週のワンコ通信」とも言うべき、ワンコがあーしたこーした、こんなことができる、こんな賢い愛らしいいきものいるんかい、おい、もーかわいすぎんだろこんにゃろめっ、みたいな熱量のLINEを送ってきてくれていたので、元々犬が好きなわたしにとって、友人と暮らす盲導犬のワンコは、もうかなりちかしい愛らしい存在になっていたのです。
(大事な部分なので詳しく説明すると、盲導犬とユニットを組んでいるのはあくまで友人の旦那さまで、彼女は家の中で、家族としてこのワンコを溺愛しているただの愛犬家です笑)
さて、中華そば屋に話を戻します。
盲導犬協会のおじさんが「すみません。以前こちらのお店で、協力のお願いをご承諾いただいた盲導犬の置物やポップが見当たらないんですが、、、それは、いま、どちらにありますか、、、」と。
「、、、???あぁ。ごめんなさい、汚れたんで、たぶん捨てちゃったんだと思います。ごめんなさいね。新しいの送ってください。」とお店の方。
、、、ああ、ちょっと辛い展開だなぁと。
中華そば屋の喧騒であんまりちゃんと聞こえなかった部分もあるし、盲導犬協会のおじさんの表情や身振り手振りやポツポツ聞こえる会話から推察したんだけど、おじさんもちょっと辛くて、辛いというか、残念と悔しさで、だから必死に伝えてる感じだった(と思う)。
たぶん、盲導犬に親しみがない人だったら、「え、そんなに残念なこと?」って思っても仕方ない。
だって、お店の人は、なにも意地悪な気持ちがない。目が見えない人や盲導犬を差別してるわけでもない。むしろ協力してくれてる。
飲食店のレジ回りには、たいていいつも色んなポップやショップカードに溢れていて、古いもの、汚れたものから片付けていくのは仕方ないことだ。
でも、わたしには想像がつく。
見えない友達がいるから、イメージできる。
見えない人達にとって、この世の中は、ほんとに行動しづらい場所だ。
行動しづらいということは、生きづらい、ということなのだ。
生きづらい世の中で、盲導犬は、色んな意味でかけがえのないパートナーだ。
そんなパートナーのことを快く受け入れてくれる場所が、残念ながら、いまだに限られている。だから盲導犬協会が「盲導犬を受け入れてくれる場所」として紹介する場所に、どんな気持ちで、見えない人が訪れるかを想像したら、その場所で、見えない人達が拒絶されたり、悲しい思いをすることなんか、絶対に絶対にあってはいけない、と思う。
でも、思うだけなら、簡単なんだよね。
それはわかってるのに。
思えるのに。
いろんな事情があるから、盲導犬がいけない場所があるのもそれは仕方ないよねって、わたしみたいに、自分の目と足でどこにでも行ける人は、すぐそう考えてしまう。
きっと世の中の多くのひとも、そう考えている。
だからこそ、目が見えない彼らにとって、盲導犬を快く受け入れてくれる場所というのは、何回も言うけど、とても貴重な場所なのだ。
本来、限定なんかされなくていいはずなのに。
でも、いまんとこ、世の中はそういう風にできてないから。
だから、受け入れてくれる場所を、必死に増やして、必死に周知しようとする人たちがいる。
らーめんを食べていたおじさんは、盲導犬協会の人だからお仕事だからってのもあるだろうけど、自分が見えているからこそ、見える世界と見えない世界のギャップをどうにか埋めようと、奮闘している人なんだなぁって思った。
だって、そのギャップを埋めることは、見えない人や盲導犬のためというより、むしろ、見えている私たちが、より良く生きるために、必要なことでもあるから。
だからこんなに、優しくて寂しくて悲しい顔で、お話してるんだよね。
お店の人が、うっかりしちゃっただけなのもわかっているから、でも、ぜったいにうっかりして欲しくなかったから。
自分達のお願いの方法や説明に不足があったかもしれないし、万が一にでも、「え、協力してあげるって言ったし謝ってるのに、それでもごちゃごちゃ言われるならもう協力したくない」って思われたくないから、きっと、必死に泣きそうな笑顔で、言葉をすごく選びながら、伝えているんだよねって、思った。
たぶん、おじさんには怒りがあったと思うの。
とても、正しい怒り。
正しい怒りは、優しい言動に表れるんだな、って。そんな風に、怒りを原動力に行動できる人をわたしは尊敬する。
世の中のために、行動できる人をわたしは尊敬する。
でも、尊敬してるだけで、わたしはなんもしてない笑
この話を友人に話したら、それ、ぜったいにnoteに書いて!って言われたの。
でも、なんか、気が進まなかったんだよね笑
だって、登場人物にひとりも意地悪や悪意のある人いないと、わたしは思うのね。
なのに、こういう話題って、世の中の人って、やれ「それは中華そば屋がよくない」とかやれ「協会の活動が」とか、すぐ言い出すじゃん。
なんなら「そんなん偉そうに書いてうのさんてなんの立場なの」とか言い出すじゃん笑
うるせえんだよなあ。って笑
見えても、見えなくても、犬はかわいいし、町中華のらーめんはうまい。
それで、よくない?笑
世の中、それくらい、シンプルでよくない?笑
でも、そうはいかない世の中だから、この気持ちをnoteに残します。
書いてって頼まれたからじゃなくてね笑
やっと会えた、友人と暮らす盲導犬が猛烈に可愛かったから、書く気になったってのもある。
また今度、友人家族とワンコと、町中華へらーめん食べに行きたいな。
と思う、うのさんなのでした~。
(某番組の「今日のワンコ」風に締めてみます笑)