刃物が危ないわけじゃない。
昨日は子ども達三人とひっさびさ四人で一日中過ごした。
マックでおやつ食べてたら、末っ子が転校生の話をしてくれたんだけど。その転校生がいた地域は、彫刻刀が1人1人に配られるらしくて、お道具箱に彫刻刀のセットが入ってたんだって。
そしたら末っ子が「でね、みんなでね『なんでキミがいた学校わざわざ子どもに刃物持たすの?危険地域なの?wwウケんだけどww』 って盛り上がったんだけど」って言ったの。
聞いた瞬間、わたし、絶句。そして、怒りや恥ずかしさ、なんとも言えない感情が、次の瞬間言葉になって、飛び出してきた。「意地悪だし、ひとつも面白くないし、草生やしてんじゃないよ!!なに考えてんのよあんた!!!」って。
マック店内、近くの席の方達がシーンとなる。
すみません、スマイル0円ハッピーセットが売りの店内で、アンハッピーな親子で。
でもごめんなさい。黙って聞き逃せない。
高学年にもなって、こんなユーモアもなんもない独断と偏見で、転校生傷つける小学生の会話とか、この世から消え去れ。いますぐ消え去れ。でももうその会話は存在してて、わたしの愛する末っ子からその言葉は放たれてて、もう消えない。
何をどうしたら、転校してきてドキドキしてるクラスメイトに向かって、その子にとって今まで当たり前だったことを「おかしい」って笑えるの?
なんでそんな風に育つの?
ママが悪いの?
ママが育てたの?あなたを?そんな風に?
悔しい。悲しい。悔しい。
ママもあなたに謝るから、あなたも謝って。
お友達に謝って。
謝るのが恥ずかしかったら、
月曜日たくさん優しくしてあげて。
そうしなさい!ぜったいに!!
って、まくし立てた。
わたしの言葉も放たれてしまった。
弾丸みたいに。
気づいたら、また周辺がシーンとなってる。
さすがに、気まずかった。
こういうのも、虐待、なんだろか笑
こういうことを「悔しい。おかしい。」と思わないで、我が子が可愛きゃそれでいい、って親が増えたから、いじめがいつまでたってもなくならないんじゃないのか。
まあ、でも、怒りはだめ。
怒りはなにも産まない。
だから、「はい、おしまいおしまいハンバーガーおいしくなくなっちゃうね。ごめんごめんね、食べよっ!!」
ってへらへらした。
そうするしかなかった。
だって涙がこぼれそう。
怒りと悲しみで。
そしたら、隣の席に座ってたおばあちゃまが、子ども達に向かって
「ママ優しいね。お話聞いてたら、涙が出てきちゃった。」って話かけてくださって。
、、、ありがとうございます。
でも、優しいなんて、とんでもない。
自分の思うように育ってない我が子にムカついただけ。
我が子は大丈夫、いい子、いい子に育てたって思ってたことが、目の前で裏切られて、動揺しただけ。
子どもには子どもの言い分があるだろうに、わたしの正義を押し付けただけ。
だからきっと、わたしの言葉は、いつも届いてなかったんだよ。
改めて、恥ずかしくて、さらにちょっと泣くっていう笑
長女と長男が「すいません、うるさくて。本当にただ熱いひとなんです。いつもこうなんです。」みたいな感じで、私の代わりに無言で周りに、しれーっと頭を下げてくれてた。
救われる。
裏切られて、救われる。
育児ってこの繰り返しだなぁ。
愛してるから、期待する。
期待するから、裏切られる。
でも愛してるのだ。
「なんてことだ」ってことが発生しても、結局、その存在に救われて、わたしは生きてる。
末っ子も、ごめんなさい、って。
わたしも、ごめんなさい、って。
ずっとこの繰り返しだなあ。
ところで、彫刻刀の話に戻るんだけども笑
危ないのは彫刻刀じゃなくて。
彫刻刀を正しく使う機会が激減していることで。
刃物で手を切ったりする経験が激減していることで(でも願わくば、切りたくないんだけど)。
怪我の痛みには敏感なのに、心の痛みには鈍感な人が増えたことで。
だから、相手の心が傷つくかもしれない言動にも、鈍感になってしまうこと。
刃物が危ないわけじゃない。
むしろ、弾丸のように、放たれてしまう言葉だ。
危ないのは、いつだって。