若葉とネズミとリス二匹
「ステッカー多くない?!」
その後ろ姿を見て、まずそう思った。
中野で仕事を終えた私は、車で自宅へ帰る途中、笹塚から20号(甲州街道)八王子方面へ右折したところだった。
そこで、前を走っていた車の後部が目に飛び込んできたのだ。
やたらとステッカーがついている。
まず、世界的エンターテーナーの例のネズミが「Kids in Car」と満面の笑顔、その横で、二匹のリス(「チョコチップで鼻血がデールと覚えれば、鼻の色ですぐ見分けがつくよ」と友達が教えてくれた豆知識は、豆知識どうでもいいランキングのかなり上位に位置している)が「Twins in Car」とおどけている。
さらには、色鮮やかな若葉マーク。
昨年、私は保育士を辞めて空き家リフォーム業を始めたのだが、それに伴い、かなりしばらくぶりの、車の運転が必須となってしまった。
18歳当時、茨城のど田舎で誕生日を迎えた私は、当たり前に免許を取った。
田舎の18歳にとって、免許は「取りたいな、取ろうかな」という代物ではなく、「取るもの」なのだ。
ただ、取ったはいいものの、私は運転が下手だった。そして若さ故、慎重さにも欠けていた。
免許を取得して1週間も経たないうちに、住宅街の民家のブロック塀の角で、父の新車の車体の左側を大幅に削って大目玉をくらった。さらに1ヶ月も経たないうちに、また別の民家の庭に突っ込んでしまった。
バンパーが取れた。
父から信じられないくらい叱られたのは言うまでもない。
でも一番堪えたのは、あろうことか、そのお宅の庭でこれから先ずっとご家族の幸せを見守るはずだったであろう植物達を、なぎ倒してしまったことだった。
二度と運転なんてするものか。
これから先ずっと写真付き身分証としてだけ、私のこの免許は、存在するのだ。
免許を見ては、反省しよう。
18歳の私はそんな風に誓った。
そして時は流れ二十ン年。
生活のため仕事のため、自分のため家族のために、私は再びハンドルを握った。
植物達のことは忘れていない。
でも、私は、運転しなければならない。
人は守るものができると、強く大胆に、そして慎重にもなれるものなのだ。
脱ペーパードライバーを目指し、教習所に通い、夫と何度も練習して数ヶ月。
運転はすっかり日常になり、仕事で都内のあちこちを走り回るようになった。
後部がステッカーで賑わっている件の車に出会ったのは、そんなある日のことだったのである。
首都高と平行したり真下を通るそのルートは、合流分岐を繰り返し、オーバー立体のあいだは信号もなく、防音壁がそびえ立ち、その構造からかなり高速道路っぽい雰囲気を醸し出している。
若葉マーク或はそれに準ずる私のようなドライバーに取って、ちょっと緊張するゾーンなのだ。しかも平日の夕暮れ時は必ず混んでいる。否応なしに、前方に注意だ。
そんな時間帯に、そんな場所で出逢ったその車。
ステッカーの多さに驚いた後は「多摩ナンバーだ」と思った。
都内を走っている時に、私の居住エリアの「多摩」「八王子」ましてや故郷の「土浦」などのプレートに出会うと、なんだか嬉しくなってしまうのだ。
路線バスの運転手さんが、同じ会社のバスとすれ違うとき「よっ!」って感じで片手を挙げるのを見かけるが、許されるのなら、そんなジェスチャーをしたいくらいの嬉しさだ。
でも、まぁ、流石にしない。
心のなかで「しばらく同じ方向ですね。宜しくお願いします。」などと呟いてみるに留めている。
なので、もうその車には、かなりの親近感を覚えて当然だった。
しかも、三児の母親で元保育士なのだ、私は。
ステッカーにより周知される「Kids in Car」「Twins in Car」という情報にも、当然興味をひかれる。
何度もいうが、そもそも、このルート(甲州街道)を走ること自体、初心者にとって、なかなかのハードモードなのである。
それに加えて、双子ちゃんを乗せている。
もうこれは、なかなかどうしてな状態なのではあるまいか。
子どもが1人乗るだけで、車内というのは、だいぶうるさく、汚くなるのである。
ステッカーは2枚。
「車内にいる『キッズ』は『双子』なのであります」という報告なのか、「車内には、『キッズ』と『双子』の計3名のキッズ(もしくはベビー)がおります」という周知なのかの違いは、だいぶ大きい。
前方の車のバッグミラーに目を凝らす。
運転しているのは、男性だった。
思い込みというのは、当然に、たびたび事実と異なる。
私の想像では、可愛らしいママさんが双子育児を機に「あぁこれは絶対に免許が必要だわ!」と、一念発起して教習所に通って、ただでさえ大変な育児中、しかも双子育児だよ、泣ける。泣けるほど色々あるだろう色々を乗り越えて、無事免許を取ったんだろうなぁ、ママさん本当に頑張った、よく頑張ったよ!と少し感動さえ覚えていたのである。
でも運転していたのはお父さん。
すると推察はこうなる。
この車、5人乗りだ。
双子用のチャイルドシートで確実に二席埋まってしまう。
お父さんが助手席のお母さんらしき人としきりに何か話していることから見ても、後部にチャイルドシート3つは無理だ。
「キッズ乗ってます『しかも』双子なんです」の線が濃厚だ。
ネズミーが大好きなママとパパ。
双子用バージョンの存在を知らずに、ネズミーバージョンを買ってしまったのだろう。
或いは、ネズミキャラ大好き勢にとっては、そういうものなのかもしれない。
私も大好きなAAAのライブグッズでは、推しの日高バージョンはもちろんのこと、メンバー全員バージョンがあればそれも買う。
そういうものなのだ。
などと、考えていたら、前の車がふらつきだした。
おいおいどうした、大丈夫か。
お父さん、何度も何度も後部座席を振り返る。
あらあら、どうした。
双子ちゃんが泣いたかな、喧嘩したかな、おやつかな。
助手席のママは?寝ちゃった?
パパが振り返ったら危ないよ。
ママがなんとかしてあげてよ!
と思っていたら、助手席からぴょんと顔を出したのは、なんとママではなかった。
三~四歳くらいの男の子。
そして、目を疑う。
後部座席の左側から、小さな小さな紅葉のようなお手てがちょいと見切れた…!
「チョコチップたべたらはなぢでちゃったー!」っておどけるくらいの月齢の双子を想像していたのに…。
混乱してきた。
え、まってまって、ちょっとまって。
三歳くらいの男子と「乳幼児」の双子。
初心者かもしれないお父さんの運転する車が甲州街道で。
ふらふら、ふらつきが止まらない。
助手席のネズミー君が、何度も何度もぴょこぴょこしている。
お父さんが、助手席のダッシュボードから何かを取り出した。
ティッシュだった。
左後方に身をよじる。
あぁ、でも、運転席からでは、届かない。
また助手席側に、お父さんが沈む。
今度は、ネズミー君が、ティッシュとレジ袋を持って、必死に振り向く。
あぁ…。
吐いたな…。
チョコチップちゃん…。
ネズミー君も、頑張ってはいるけれど、もちろん届かない。そりゃそうだ。ネズミー君だってきっと、助手席でチャイルドシートに座っているのだ。これ以上、肩ひもを外したままでいるのは危ない。
お父さんの焦りが伝わる。
もう、停まってくれ!!
ハザード出してくれ!!
後方からテレパシーを飛ばすが、車は止まらない。
ふらつきながら進む。
わかる、わかるよ。
ただでさえハードモードな20号、オーバー立体を通過中。
ここで路肩に停める、って、初心者に取ってはハードルが高すぎる。
そしてたぶんテンパって冷静な判断ができなくなっているんだろう。
がんばれがんばれ。
もしお父さんが停車したなら、私も停車して、手伝える。あ、でも今コロナだからどうしよう。抱っこは出来ないけど、見守りくらいならできる。
車に売るほど積んでいる雑巾やウェス、なんならバケツやハイターだって渡してあげられる。
がんばれ、がんばれ!
声援を送りながら、進む。
あ、停められそう!
でも。縦列駐車をしなければならない。
若葉、チャンススペース通過。
だよね、じゃあ次、次に停まれそうな場所どこだろうなどと考えていたら、若葉が車線を右に変えた。私、横から車内が見えた!
チョコチップはギャン泣き。
そして、ネズミーも泣きそう。
不安気に後ろ向いてる。
あぁ、もう大変だ!
次の信号で停まったら、窓を開けて、できる限りの大声で声かけよう。
…と思っていたら、若葉マークは、東八道路方面に走り去って行ってしまったのでした…。
…あぁ、そっちの多摩だったのかぁ。
しかも、たぶんそっち、しばらくますます停車できそうになかったはず…。
四人に幸あれ。
もう、私には祈ることしかできない。
私はぐったり疲れを感じながらも、気を取り直して、自宅を目指したのだった。
帰って夫に話したら「よくもまぁ、赤の他人の事情を、そんなに次から次へと考えるねぇ。それに、運転に集中しなきゃ危ないよ。」と、呆れ半分感心半分で驚かれ、最終的に叱られた。
そうだった。
運転は、慎重に集中しないと、本当に大変なことになるのだ。
お隣さんの植物達のことを、私は決して忘れない。
今日のあの若葉マークのお父さんは無事に家についたのかな。
お母さんはどうしたんだろう。
やっぱりつい考えてしまう。
夕飯も片付けも上の空で、また夫に叱られた。
お風呂に入って、我が子達が寝るのを待って、録画していたお笑い番組を観て、すっかりリフレッシュして、ベッドに入った。
ウトウトしていたら、横で夫がつぶやいた。
「ねぇ、きっといまさ、コロナだからパパがテレワークなんだよ。ママは通勤でさ。パパが日中子ども見てるんだろうなぁ。ママのセカンドカーでお出かけしてたんじゃないかな。大変だなぁ。小さい時の子育てってほんと。しかも双子だもんなぁ。」と。
夫も、今日の若葉とネズミー達の頑張りに、思考を奪われている様子だ。
私は、若葉くんのことを、何にも知らない。
話しかけることもできなかった。
ただ、甲州街道で、前と後ろになっただけ。
ただそれだけ。
でも、それでも私は、若葉マークやネズミのステッカーを見るたびに、今日のことを思い出すだろう。
例え、全部が勘違いでもいいのだ。
あの夜、私には、運転と育児に奮闘する仲間が確かに一人増えたのだから。
知らないうちに、誰かに応援されている。
きっとそんな「誰か」が、誰にもいるのだ。
私にも、きっと。
それって、結構すごく、楽しくて、心強くて、嬉しいことだ。
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