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「調」とは何か

割引あり

 このトピックは、もし私が万が一 大学院に行くとしたら、卒業論文のテーマとして取り扱おうとしていたものです。ゆえに、ここで詳細に語り尽くすことなどできません。100,000字の想定です。

 しかし私は気づいてしまいました。
 前回の『ジャズを「理 解」した話』で、私のジャズとコードスケールに対する論考は終止符を打ったと思っておりましたが、「部分的に今回のトピックをまとめておかなければ、本当の終わりではない」ということに。

 何なのかというと、私の思う「調判定」と、少なくない数のジャズの人々が考えていると見られる「キーに基づいて」という表現は、明確に意味する所が違うのです。

 私は「意味が違っている」こと自体には気が付いてはおりましたが、その重篤性・語る必要性に気が付いたのが今だということです。



「調」と「調・性」

 まず初めに、「最も厳密な議論をするステージ」では、「調」と「調性」は、概念として区別し得ます。

 今回はさらに英語の「key」や「tonality」との厳密な対応、一致・不一致を検証する余裕はございません。
それは100,000字コースですので、ご理解・ご了承ください。

マジで作曲依頼の「英語でのやり取り」って大変。
Bメロ” も “サビ” も、“曲展開(※一般的意味)” も “曲調” も、
「間違いのないジャストな一単語」というものが存在しないんだぞ?

 今回は意図して、日本語の単語のみしか表示しないことがあります。

「調」

 は、この場合、単に「主音の位置(音高・ピッチ)」を直接 表現する語、でしかなくなります。

―― People sometimes confuse key with scale. A scale is an ordered set of notes typically used in a key, while the key is the "center of gravity" established by particular chord progressions.

―― key と scale を混同するケースがあるが、scale が「key の内部で通常に使用される音を並べたもの」である一方、key とは 和声進行/コード進行 の作用によって確立される「重心」である

注:日本語訳・太字強調は私によるもの。 
https://en.wikipedia.org/wiki/Key_(music)  (2021/01/12 閲覧)

「コード進行」と「和声進行」は、日本人ならば区別するべき理由が、私には一応 思い当たる。
英語圏の各国は、区別する文化を捨てんとしている or 文化が生じなかった可能性がある、
と感じている。

あとこの文の scale、本当に日本語の「(単なる)音階」の意味とイコールか怪しい。used in a key ??


 「ハ調」とは、「主音=」という意味・以上でも以下でもないです。

 ただし西欧芸術音楽(≒広義の “クラシック音楽” )の “主要な時期” の伝統として、「長旋法」「短旋法」の2種しか取り扱わないという事情があり、表記としても「長か短か」まではセットで取り扱うため、通常は「ハ調」や「ハ調」という表現しか目にしないと思います。

英語版Wikipediaでは『Symphony in C』。

まぁ、この曲名は恐らく「事後的に “長/短” 要素の宣言を抜いた」結果であって、
「さきの定義に積極的に基づいたものである」と考えるのはやや恣意的かと思うが。

「調性」

 は、ここではあえて「一種の旋法である」と表現して説明を試みます。
この「旋法」は、最広義のそれであり、「旋律の作法(さほう&さくほう)」そのルール体系である、と思って下さい。
 その意味で、私は “調性システム” と丁寧めに表現する場合があります。

 この、「旋法」としての『調性』とは。

【1】取り上げた音組織上の各ピッチ毎に “機能(function)” を感じた上で、
【2】その各ピッチ上に積んだ三度堆積(tertian)和音・それらにもその root である単音と共通の “機能” があると見なす(見なして曲を作る)」

また、暗黙の了解?として「それらに相対音感的に着目する」というニュアンスを含意します。
つまり、ハ長調にも主音や属音があり、嬰ヘ長調にも主音や属音があります。以下同文。

 というものです。そういうルールまたはシステムです。

 ↑ 私がこの見解に至るに当たって、直接に多大な影響を受けた記事です。感謝。

―― 前提として、ありとあらゆる全ての旋法にはトニックやドミナントみたいな音楽的な機能を持つ構成音が必ずあるの。 〜中略〜 そもそもそうやって構成音に機能があるものを旋法って定義してそう呼んでるんだから、これは当たり前のことね。
〜中略〜 この意味だと長調の長音階も短調の短音階も旋法の一つなのよ。
長調と短調の場合はモーダル・ハーモニーと比べても旋法性の使い方が特殊だから、その特殊な使い方を特別に調性って呼ぶの。

注:太字強調は私によるもの。
出典:
講義 西欧音楽史 第6回:バロック音楽(2024/01/13 最終閲覧)

私は「旋法」を「旋律のルール」や「“中心音” が認められる音組織」と説明してきましたが、
最も一般化した説明は、上記「構成音に “機能” が認められる音組織」とすることに異論
ありません。
旋律にルールが生じるのは「各音ごとに(個別の)機能があるから」だからね。

 便宜上「イ長調」という出来合いの代物を出してしまいますが、要するに「イ(A)という単音 が有する機能は、A△という和音 にも共通して在る」という解釈・思考回路で曲作るのが、『調性』というシステムで、文化です。

 ↑これ、当たり前だけど、当たり前じゃないんすよ。
だってここでAは主音だし、Eは属音だけど、AEが同時に鳴っててAの方が低音側ならば、その和音(全体)としての機能は「主和音」のみですよ。

「主音と属音が一緒に鳴ってるから、機能は合体 or 両義的」とはならない。
「(音響体の中の)最低音の重要視」が特徴と言えるかもしれない。

軽く触れるだけにするけど、「転回形」もとい「根音(root)」という観念も独特。
下から [ ⅲ ⅴ ⅰ ] という和音は、じゃなくて、なんすよ。

(念のため、「最低音」と「和音の根音」は、違うモノだからね。両方が別々に重要だけど。)


 ここで「音度」という言葉が便利に使われます。ローマ数字で書く奴。
慣用的に、単音の話題でも和音の話題でも使えますね。

 表し分けたい場合は、=単音、=和音 として表し分けたりします。
 は “主音”、は “主和音”
 は “属音”、は “属和音” です。

 ※以上の記号は「和声法式」なので、「短調ならば、Ⅰは短和音」を意味します。
 「Ⅰm7」系の記号体系は、明確に記号としての役割ごと違うので注意。

 また、この記事では余談めになりますが、「“調”・性」という文字通りの意味に、よりしっくり来る定義の一案として再び以下を引用しておきます。

――楽曲を調性スキーマに同化することによって、調性(楽曲の音高組織に中心音による支配性が認められる心理現象)が認知されることになる。――

  注意:太字強調は私によるもの。 藤永保監修(2013)『最新 心理学事典』平凡社

 関係を整理するならば、この心理現象としての「調性」…の感覚に頼った音楽文化が「調性音楽」で、その「調性音楽」の構築法・合理化された1つのアプローチとして「調性システム(広義の旋法としての)」という考え方(理論)がある、

 と言った感じでしょうか。

 こうなってくると、やっぱり「調性(心理現象もとい、音楽の特性であり現象とも言い換えられるか)」と、「調性システム(一種の旋法として)」は、区別視した方が皆が困らなさそうですね。今後そうします。

だから「こういう深い考え方ができて偉い」とかありません。独り善がりです。
むしろ、仮に協力して音楽作る場面ならば、相手に通じない話する奴は素質が無いです。

だから友達いねえんだよそういうXアカ。聞いてるか私にブロックされた数名。



“キーに基づいた” 演奏 という表現

 私は別に「長い文章を書くこと」がやりたいことなんじゃないんだ。
 図示(と注釈)で済む説明は図示(と注釈)で終わらせる。それが記事のメインディッシュであったとしても。

「調判定」

音楽学校の入試で出る、『調判定』と呼ばれるクイズの一種。
こういうの出されて「これは何調か?」と問われる。

高度なジャズみたいな「リハモの無限の可能性」は、考えないことが要求される。
客観的に見て、まぁまぁ変な風習。

ただクラシックの楽譜って、楽曲のキリの良い所でしか調号を書き換えなかったり、
なぜか異様に調号を改めたがらない悪癖がある(そして楽譜クソ読みづらくなる)ので、
「和声分析したいなら、調判定が訓練として必要」というアレな事情がある。
ベートーヴェンの “伝わっている” 楽譜には、逆に「調号 書き換えすぎ」の例もある。
私には「この調号の表記から受け取るべき意図」が、7割くらいしか分からない。

特に 12/16 の後、載せていないが次に調号が書き換わる(As: でフーガが始まる)まで、
一度も調号通りの es: にならない。ここについては全く意味がわからん。誤写?
少なくとも英語版Wikipediaは、ここの調号の件はスルーしている様子。

「Twelve-bar blues」

ジャズの人が言う「“キーに” 基づいた演奏」という表現の、代表例と思われる演奏実践の例。

ブルースやブギウギなどの文脈で実際に行われ得るもので、コードが変わろうとお構いなく、
Gが主音のスケール・一本で演奏し通す。
もちろん現代の通常のジャズでも、部分的にやる。



”キー(に基づいた)” にまつわる、すれ違いの可能性

【図1】

要点は「コード・チェンジを貫通して、C-Major scale をずっと弾き続ける」という所。
しばしば「初心者の演奏法」だと思われている…という印象をひしひしと感じる。

まぁ、特に Db7 の箇所など、瞬間的にややきつい音の衝突が見過ごされているとは言える。
それがむしろ「味」となるかどうか、好みだし、ケースバイケースだけどな。

【図2】

これは “キーに基づいた演奏” ではない、と思われている…と思われる。
コード・チェンジごとに、弾く音組織を変更して、各コードへとアジャストしている。

こちらの奏法を基本とする人々にとって “キーに基づく” とは、これの対義語としてであり、
コード・チェンジを無視する” という、至極「尖った」意味であると受け止めざるを得ない。
(追記:また、この「コードごとに文脈を分断する」志向を “vertical” と形容するらしい。)

それは、次の私がイメージしていた「調判定する」こととは、意味合いが丸っきり違う。
私が言うのは「(曲全体の)キーで考える」ではなく「(各所で)音組織を(ちゃんと)考慮する」。

【図3】

「コード・チェンジごとに、弾く音組織を変更して、各コードへとアジャストする」という
スタンスは、一個前と同じである。

D#dim7 というのは、ここでは e: Ⅴ9(1転、根音省略) の借用だと見なしているので、
e: [ E F# G A B C D# ]を選んでいるし、 に対する b10th である D♮音 も弾いている。

Db7 については「裏コード」とショートカット理解してしまわず、
律儀に c: Ⅴ9(2転、5th下方変位、根音省略) だと見なしている。
ゆえに選ぶ音組織は c: に由来したもの。C: と見なさないのは、Ab音 の存在による。
もちろん、Eb音 の代わりに E♮音 を弾いたって良いのよ。求める響きなら。


ジャズの人にとっての「“キーに基づく演奏”」とは、
「↑この手の分析を行わない」という意味・であると考えられる。

すなわち「(コードではなく)キー、に基づく演奏」というニュアンスに
響いてしまうのではないか説。


そして、【図3】は「“vertical” でも “horizontal” でもない」と豪語して良いはず。
そんな謎の「二分の意識」が無いから普通に旋律を考えただけ。

 コードスケール・アプローチは「和声法など既存の音楽理論の読み替え」である部分が9割を占める内容なので、【図3】中で赤線で消されているようなスケール群が見出せることは、奇跡や偶然ではなく、概ね当然です。

 【図2】と【図3】とでは、「”スケール” というパッケージを介在するか否か」の違い・しか存在しません。

【図3】で私は、
「良い感じの(="available" ?? )テンション達を直接考えただけ」であり、
コードスケールとは、「コードトーンと "available" tensions (+α)の集まり」であるからです。 ※「+α」は、仕方なく埋めるアヴォイド音。

先の「調判定」という受験問題の存在を・またはクラシックの風習を、知らなきゃ通じない。
私の説明不足でした。

リードシートで演奏する彼らにとっての "キー" とは、
「その曲(=曲全体)を何キー始まりで演奏するか」という文脈で使用される用語・として
収まっている? 「主調(名実ともに)」…ってコト!?

多分「まぁ fis-Moll」ということで、異論は出ないかと思う。そういう風に頑張って作った。

もちろん、ちゃんと和声分析(ミクロな調判定)すれば、3小節目は ⅳ調 である h: だよ。
回答するときは、「まぁよくある内部調よね」ってことで、こういうの適切にスルーして
雑~に答えないといけない。(大抵)回答欄が1個しか無いんだもん。THE空気読み。



【番外編】最後に問う、「調」とは何か。

 今回は「キーに基づいて」という長めの文章単位についての、意味し得る内容のすれ違いを取り扱いましたが、冒頭でお話しした私の卒論候補だったテーマは、

「そもそも『調(一般的意味)』の定義が、西欧音楽史の流れの中で変遷してきている」

 という内容でした。
 正確には『転調』の方の定義が独り歩きのように変遷してきていて、それに巻き込まれる形で『調』の定義も変遷していると考えざるを得ない…
…という感じです。ヤレヤレだぜ。

 我々は、その言語感覚の高さ(もしくは低さ)を良いことに、そのことを深く考えないようにしてコミュニケーションし、あるいは学問してきたのだと言いたかったのです。

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