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精神病の甘えだという考え方について

以前は、精神の病気自体が、無いと思っていた。

精神の病気で休んでいるのは
甘えだと思っていた。

こんな考えで、精神の現場に
入ったものだから偏見が酷かった。

なぜできないのか?
なんのために生きているんだ?
生きる意味はあるのか?

ひいては、自身の働く意味。
自身の存在価値まで、卑下してしまっていた。

前職が、効率性や、生産性
に重きをおく業界だったから
成果を主体においていた。

成果を出しているものが偉いと思っていた。
みんな一生懸命に生きているという
感覚はまったくなかった。

当時の私は、偏見、トラウマに
気づくことが出来ず。

同じ職員の方に、出来ないことに
対する責める態度が多かった。

それも、組織のためと、
思っていたから、たちが悪い。
正義感を振りかざして、
他人を責めたてた。
そして、ついには、
上の人に、激怒され、止められた。

その頃から、自身でも悩み始め、
精神、福祉の本を読み始めて、
少しづつ考え方も変わっていった。

デール・カーネギーさんの
「人を動かす」で
・責めることの無意味さ を知った。

香取 照幸さん
「教養としての社会保障」で
・福祉がなぜ必要なのか? を理解できた。

水島広子さん(精神科医の先生)の本で
・みんなできる限りで、
 みんないろんな事情の中で精一杯生きている
 こと も理解できた。

岸見一郎さん(アドラー心理学)の本で
・踊るように生きる
・どんな人も生きてるだけで価値がある。
は考え方を一変させた。

中野信子さん(脳科学者)
「ヒトは「いじめ」をやめられない」で
・いじめの起きる構造 を知った。

自身も、いじめに遭い、辛い人の気持ちが
わかるはずなのに、
今度は自身がいじめる側に回ってしまった。
団体のために、正義感ぶって、
排除しなければと思ってしまった。

精神の人はいろんな理由から
傷ついてきた人たちだ。

社会から排除しようとしたら、
生きていていけない。

深く傷ついた人達を、
排除する社会を誰が望むのだろうか。
みんなどんな人も、
様々な事情の中で精一杯生きている
その人には、その人を思う大切な人が必ずいる。
みんなもわたしも
生きているだけで価値ある存在だ。

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