「おはよう」から始める繋がりづくり 〜登下校を住民が見守り18年〜
学校と地域の橋渡し役として、双方の思いをくみ取りながら、子どもの学び、地域住民の生きがいづくりを行っている地域学校協働活動推進員。田近正英さんは、古川西小学校のPTA活動に積極的に参加する中で、推進員に抜擢されました。今年で18年目を迎える登下校を見守る「見守り隊」にも尽力してきた田近さんは、「保護者、地域、学校の三位一体でまちづくりを進めていく必要がある」と言います。その心意とは?活動内容や奮闘劇、展望などについても伺いました。
婿入りで古川に移住。子どもの見守り隊として活動
——ご自身について教えてください
高山市神明町の出身なのですが、24歳の時に結婚して、古川に婿入りという形で来ました。もうこっちに来て32年になりますね。高山にいたときから建設系の仕事をしています。
——地域の活動に関わりを持ち始めたきっかけを教えてください
地域の活動に本格的に関わり始めたのは、地元の消防団に入団しその後、地域の若社(祭りの獅子)や、小島若鮎会(青年団)に入会して、地域の先輩や同年代の者と親密な関係を持つ事でした。長男が保育園年長の時に、保護者会の役をさせていただき、小学校6年のときは学級会長をやっていたんですけど、下の子どもたちのときにPTA会長の役割が回ってきました。長い間学校に関わっていたので、表彰してもらったこともありました。
あとは現在、交通安全の役割を担う飛騨地区交通安全協会の協会長をしています。2002年から始まったこの活動は先代の社長がやっていたので、交代する形でした。
PTA活動に尽力、推進員に。親だけでなく地域で子を守る
——推進員の活動を始めたきっかけを教えてください
当時の学校長に地域学校協働活動推進員をつくりたいとの思いがあったようで、「見守り隊の役割も見直すためにも、協力してもらえないか」と私に推進員の声が掛かりました。
2005年にPTA会長になって以降、見守り隊のグッズを作ったり、県PTAの研究発表会では執行役員を担ったりしていたので、そこから私に声が掛かったのかなと。
——見守り隊はどのように発足したのですか?
高山に子どもたちの通学を見守る保護者の会があるという話を聞いて、古川でもやりたいよね!という声を当時の警察の生活安全課係長から頂いたことがきっかけです。
仕事などで保護者の見守りが難しい登下校時に、祖父母世代などの地域で子どもたちを見守る活動です。玄関先で見送るだけでも、交差点まで一緒に歩くでもいいんです。「おはよう」と声をかけてくれたら嬉しいなくらいの思いから始めました。
メンバーは当初、90人くらいいたのですが、今は45人くらいです。時間に融通がきくおじいちゃんおばあちゃんが多いです。学校のある日は基本的に毎日やっているのですが、あえてルールは設けず、本人の都合次第で自由参加にしています。
親子で手がけるロゴデザイン。入れ替わる見守りメンバー
——見守り隊の活動を継続してきて、何か変化は感じましたか?
やっぱり、見守り隊のメンバーが子どもの成長とともにどんどん年を取りました(笑)。あの頃の小学生が成人になり、結婚するくらいの期間、ずっと活動をやっていますからね。
あとは見守り隊もある意味で少しずつ変わっていて。見守り隊のメンバーの繋がりで、同年代の方々が参加してくれたり、逆に年齢的な限界で辞める人もいたり。あるいは、孫の入学を機に新しく参加してくれることもあります。そういうふうにメンバーがまわっています。
——見守り隊のロゴが可愛らしいですね
このジャンパーと帽子を作るときに、せっかくだから子どもたちから絵柄を募集しようということで、夏休みの宿題にしました。夏休み明けにみんなで投票して、最終的なデザインを決めました。
そして今、古くなったジャンパーと帽子をまた作り直そうとしており、デザインも新たに募集しようという話になっています。子どもだけじゃなくて、親御さんも一緒にデザインを考えてくれていると思うので、親子と地域が一体となって協力してくれてるのかなと思っています。
「保護者・地域・学校」の三位一体で安全なまちへ
——これからやってみたいことはありますか?
協力してくださっている方と意見交流会をやりたいなと思いつつ、コロナの影響で集まる機会を作れずにいます。「どうして協力してくださるのか」「子どもたちの様子を見てどう感じているのか」など、そういう意見を聞きたいなと思っています。
私自身の想いとしては、見守り隊に自分の子どもの通学を見守っていただけていたのが非常にありがたく、心強く、安心感がある制度だなと思います。今までお世話になってきた分、協力できるところは積極的にしていきたいなと思います。
ニュースで悲惨な交通事故を見るたびに、この地域からはそういう事故を起こさないようにしようという思いが強まります。少しでも安心で安全に暮らせる地域にしたいですね。
——活動の中で気になっていることはありますか?
保護者の負担をなくそうという流れは少し気になります。保護者の役割が減る分、私たちの負担が増えることになるじゃないですか。保護者、地域、学校の先生との協力関係が大切だと思っているので、やっぱり保護者の力なしでは地域は成り立たないと思います。時代の流れで仕方ないところもあるんですけどね。
西小では、それぞれの家庭が委員会に所属する決まりなんですよ。環境美化を行う環境委員会、配品回収などを担当する厚生委員など、学級委員以外の親御さんは、その3つの委員会のどこかに必ず所属します。こういうものをなくしていきたいという声を聞くのですが、伝統でもあるのになぁと思うところがあります。
あとは、子どもの元気がなくなっていることが気になっています。コロナで声を出しづらいなどの影響もあると思いますので、難しいですよね。
——地域と学校はどのように関わるのがいいと思いますか?
例えば行事に対する協力は一つの方法だと思います。私たちの頃は、保護者の方を指導員にスキー教室を年に2回やっていました。
地域でのお助け隊として、子どもの学びに協力してくれる方もいらっしゃるのは非常にありがたいです。学校からも、書道、手芸を教えてくれるような人いないかというような問いかけがあるくらいですから。
目指すは、誰とでも「すぐに助け合える」古川
——古川がどんな地域になって欲しいですか?
年齢、地域関係なく、地域に住む人の名前と顔が一致するようになってほしいです。コミュニケーションをしっかりとって、何かトラブルがあれば何でも話せて、すぐ助け合えるような、そんな地域になるといいですね。
そういう人の繋がりによって、若者が地元に残るという選択肢を増やしていきたい。大学や専門学校で都会へ行くのは仕方ないことなんですけど、将来戻ってきて欲しいなとは思います。地域で育てるという意識が大切だと思います。