フォークソングを知り、レコードが擦り切れる位何度も唄い続けた頃、ラジオから異様に高いハイトーンボイスの洋楽が流れていた。 それはギブ三兄弟のビー・ジーズだった。「これは裏声? まさに歌う技術を得るにはうってつけではないか‥」 何の疑いもなくベスト版を買う。とてもウキウキしながらレコード盤に針を落とす。流れる楽曲には歌い手の魂を感じる事ができ、聞き惚れつつもどう歌えば良いのかな、英語だしなと。 直感的に歌詞として捉えるのではなく音として歌を捉えようと決め、リズム感をとり
よくよく振り返ると記憶の中にあって日本の歌手のレコードをかけて歌い始めたのはフォークソングでかぐや姫の「Forever」だったが神田川、赤ちょうちんや妹よ‥など何度も繰り返しかけては歌い続けていた。 そんな中で歌の技法も自然に真似ながらも学んでいた気がする。音程をとる事やリズムを取ることの基礎はこの時に学んでいた気がする。 ハイトーン系の歌声だったので息継ぎなども比較的調整が易かったかも知れない。 やがて、日本の歌に加えて外国楽曲も歌う様になったのだがその時に何か開眼
歌うことは相変わらず大好きであったが小学生の頃にご近所さんで要らなくなったエレクトーンを貰い、初めて鍵盤というものに触れた‥ 足元にも足用の鍵盤があり、ただただ驚いたのを覚えている。色々な音が出るのも興味を誘った。 譜面に音符を書いてみたくて‥ ト音記号、そして4分の4を書き入れ音符を拾いながら譜面に落としていく‥ 産まれて初めて産み出した音符達。 音符の山から紡ぎ出されたそれぞれの音はまるで心臓の細胞の様に単独ではバラバラでも、配置されてリズムが出来上がるとそれぞ
コロナ禍に入りこれまで当たり前に考えていた人的交流が突如途絶えた。 それまでは気のおけない仲間達と年に数回ライブを行い大好きな音楽を楽しんでいた。 その頃から地元の神社やお寺にも足を運び自身を見つめ直す、また断捨離したり日頃できていない事をやる時間も幾分作れる様になった。 色々と不思議な流れもあってあるWriterの方からお話を貰い、当時大変な思いをされながら人々のためにお仕事をされていた医療従事者の方への応援歌を創らせていただいたこともある。 それ以前にいつの頃か