ピーター・リンドバーグの笑顔_笑顔は最強の武器である
撮影:2016.11.28@パリ/原稿:2020.5.10@横浜
●話はなんと、ソール・ライターから始まる
10年以上ヘアカットをお願いしているイケさんの好きな写真家は、「ソール・ライター」らしい。真っ赤な傘が印象的な写真は見たことがあるけれど、どんな写真家であるかはまったくしらなかった。
NHKの日曜美術館が、気がつくと半年近く分、録画されたままになっていたので、外出自粛中ということもあって、気になるものから視聴することにしたら、なんとそこに「ソール・ライター」を特集した回があった。
番組を見終わってから、イケさんがソール・ライターが好きな理由がなんとなく伝わってきた。商業的な写真を撮ることに嫌気が差して、自分の撮りたいテーマだけを撮る。どこかで発表するわけではなく、人に見せるわけではなく、ただただ撮りたいものを撮り続ける姿勢は、自分も憧れてしまう。そんな生き方、やってみたい。
でも、番組を見終わったときに頭に浮かんだのは、ピーター・リンドバーグだった。昨年の訃報を知ったときには、まさかと信じられなかった。2016年にインタビュー(といっても、グループインタビュー)したときには、まだまだ元気だったからだ。
20016年の11月、ピレリカレンダーのイベントでパリを訪れ、その年にカレンダーを撮影したピーター・リンドバーグをインタビューできるという、なんともラッキーな取材であった。
ピーター・リンドバーグは、ソール・ライターとは違い、いわゆるクライアント案件の作品をなくなる寸前まで撮り続けた(っぽい)。ピレリカレンダーもまさしくそんな仕事のひとつだったろう。
彼は、クライアントの意向などもきっとうまく取り入れながら、自分の世界を写真で表現し続けることができたのかもしれない。一方のソール・ライターは、宗教的な問題や生い立ちなどから、自分と社会の折り合いの付け方が不器用だったのだろう。
リンドバーグの生い立ちなどは知らないけれど、一度インタビューで同席して受けた印象では、写真を撮ることが好きですきでたまらないというタイプに思えた。だから自分のファッションにも無頓着で、華々しい映画女優に囲まれながら、くたびれたパンツにスニーカーという出で立ちでも意に関せず、だったのだ。
●撮る行為そのもの
この感じ、誰かに似ているな、と思ったら、ヒロヤマガタさんとそっくりだった。ヒロヤマガタさんも、とにかく絵を描くことが好きですきでたまらないタイプ。一度だけ夕食を共にすることがあったのだけれども、いろいろお話をしている内に、とにかく純粋であることがすごく伝わってきた。
もともと、私が抱いていたヒロヤマガタ像は、バブル期に植え付けられたもの。当時は、彼の人となりなんぞまったく知らないで、ただ単に商業的すぎると思っていたのだけれども、それは周囲に利用されたようなところがあったように思えた。当の本人は、作品を作れる環境があれば幸せで、あまり金に頓着しないタイプのようだった。
しかもその日、いつもより綺麗な身なりをしているというヒロヒマガタさんの出で立ちは、やはりちょっとくたびれたチノパンに、履きやすさ重視で選んだようなスニーカー。いつもはもっとくたびれた装い、とのことだった。なんか、そんなところもピーター・リンドバーグとオーバーラップして、愛さずにはいられないキャラクターの持ち主だった。
さて、クライアントやパトロンが付いている方が、創作の規模は大きく、自由になる。しかし、逆に精神的には制約が加わってしまうことになる。そういうお金の絡んだあれやこれやに、まったく無頓着で気にもならず、利用してやろうという気負いもなく、自然に自分の表現したいこととクライアント(パトロン)が求めるものを擦り合わせ出来る人もいれば、出来ない人もいる。
ピーター・リンドバーグは、無邪気な笑顔で周囲のすべてを引き寄せ、結果的に自分の世界観を表現し続けることが出来た、稀有なひとりなのであろう、たぶん。
実際のところはどうだがわからないけれど、写真家って、撮影のテクニック以上に、実は人間性やキャラクターが重要なのかもしれないなぁ、と思うわけです。特に人物を被写体にする場合は。
そして自分はどっちタイプ? と聞かれれば、ソウル・ライターに憧れるピーター・リンドバーグ型、なのかな。つまり、どちらにも振り切れない中途半端というだけのこと。もちろん、編集者という立場で見た場合ですけど。
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