神風特攻
トラック運転手不足と言って制限速度引き上げやSAの駐車場の有料化を提案なんてニュースが飛び込んで来る。
壮大な憲法違反に目が眩む。
この国の立法府の面々にため息しかでない最近(いや、ずっと?)
タクシー運転手不足だと言ってライドシェア解禁
教員(保育士)不足と言って質を落とす「教員免許不要」の要件緩和
待遇改善ではなく短絡的な規制緩和でその場を乗り切ろうとする、与党政治家。
人を育てるという視点が見えない日本の政策の数々に、ああまたか、現場を分かっていない、必要なのは規制緩和じゃない、待遇改善一択なのに。
政治だけではもちろんなく、民間企業も同罪である。
私が明日いなくなっても、会社にはまったく損失ない。それは確かだ。
だけど、どんな仕事でも長く働き、その人がまた後継を育てていく、そのメリットは長期的には計り知れない恩恵を生む。代替可能な瑣末な仕事とあっさり人を切る、つまり人を、仕事を軽く見るその積み重ねは、日本全体を覆い尽くす風となって、小売店だけでない、あらゆる物事に影響している。しかも、あまり良くない方向へ。
自民党を保守政党と言われる度に感じる違和感。人を大切にしないことは伝統も文化も軽視することと同意で、彼らの何が保守なんだろうかと思う。
保守ならもっとマシなはず。
彼らはただのポジショントーク。背景色によりコロコロ自分の色を変えていく、ポリシー不在の政治家に、長期的視点など持てるはずもない。彼らの「なんちゃって新自由主義」つまりアメリカの亜流も亜流、市民に都合の悪い(権力者に都合の良い)とこ取りの資本主導主義は、どうにもモヤモヤする。日本は常に、新しい物事を自ら産めない体質だ。
太平洋戦争末期の、神風特攻隊などの愚策も通底していて、ああこれはもう、風土病とも言える、日本に蔓延する病なのではないかと落胆する。死んでいった彼らは英霊ではない。彼らが戦後の繁栄を築いたのではない。無駄死に以外の何者でもない。ただの非民主国家の暴走に過ぎない。死んでいった人たちを冒涜しているのではない。死を讃美したくないだけだ。批判されるべきは愚策を思いついた人でありそれを政策として推し進めた人である。
所詮、日本には真の民主主義が未だかつて存在しなかったし、今も尚、であると思うのは、つくづく、こんな時である。
常に権威主義、人権に対して不誠実な支配層の跋扈、つまりは独裁となんら変わらぬ。これに尽きる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?