老人を排除

一般社団法人日本若者協議会という団体の主催で先日行われた「民主主義ユースフェスティバル2024」
「選挙小屋」の取り組みが素晴らしいと思った。
昨年から始まった模様である。

日本の民主主義はきっと、黎明期を迎えたばかり。これから、始まるのだと思う。ディスカッションなども視聴したが、いろいろな意見があり素晴らしいなと思う。国が70年も民主主義教育を意図的に放棄し続けるならば民間が声を上げるしかない。

ところでなぜ、選挙小屋で最大与党の自民党が見当たらないのか、何かカラクリがあるのかだけ気になり調べたがわからなかった。まぁ何か理由があるんだろう。始まったばかりのプロジェクトのようなので、またこれからなのか。

主催者は果たしてどのような人なのか、予算はどのくらいありどこから出、配分がどうなのか、サイトを見ただけではさっぱり分からない。協力にドワンゴの名前。ふむふむ。

ところでディスカッションの登壇者の名前に目を止める。民主主義は右も左も中央と思っている人たちも含めて対話があると良い。そう言った着眼点での人選なのだとは思うが、若者というキーワードには何にでもしゃしゃり出る三浦瑠麗氏はいい加減、自分の身の丈を測り辞退してはどうかと思うが。まぁドワンゴは三浦瑠麗氏が好きだからといった程度で、それはさて置き。

チラシ上でデジタル庁大臣の御尊顔を拝す。

この大臣を「デジタルと選挙」というテーマの登壇者に据えたのは誰で、どういった目的があったのか。積極的かそれとも多方面に断られ続けた末の止むに止まれぬ人選か。

この大臣は答弁や記者会見などで
「次の質問どうぞ」
「指摘には当たらない」
「所轄外」
の繰り返しをすることで知られている。
議会制民主主義を真っ向否定の外道である。いや、外道というより猥奴か。

彼はTwitterで、自分に少しだけでも牙を向く、いや、もはや自分に向いてなくてもある層の人たちを直ちにブロックすることでも知られていて、それはかなりの数に及ぶらしい。それが嘘か真かは未調査であるが、そういう人であることは日頃国会周りを見ていれば分かる。彼ならやりかねん。

そんな大臣が例えば国民のベネフィットに関する投稿をXで発信するとしたら、それを見ることができない国民が一定数いるということになる。もちろんXだけが発信元ではないが、権力者がアウトリーチに手抜きしたら私は即座に独裁認定する。これが独裁でなくてなんだろうか。情報弱者どころの話ではない。

私はこういうことには非常に恐ろしさを感じるタチで、この大臣には辟易している。

「私の知る権利」を脅かす大臣は、憲法21条に明確に違反しているという点で。

権力者が自分の好きな相手とだけ対話をする、もしくは一方的に権力者の考えた政策をただ広報して述べるだけ。こちらの意思は丸無視である。これは先進民主主義国家の大臣と言えようか。河野太郎はかくも恐ろしい人物である。

特筆すべきは、彼の主義主張は、右ではないことだ(もちろん左でも中央でもない)。主義主張もない、権威勾配を必要以上に恐れるただ「生まれが代々政治家の家系」であっただけの人で、ある意味彼にとってもそれは不幸なのだと思う。(市民はもっと不幸なのは言うまでもない)

他に才能があれば何もこんな理不尽で儲けの少ない職業に着く必要はない。

デジタル化をこの若者の祭典で話すのに、なぜよりによってこの人選なのか理解に苦しむ。
彼は若者の人権なんて興味がない。いや、彼に従順な若者のことは少しばかり贔屓するだろうか。彼の考えた若者像に当てはまる若者だけに、手を差し伸べると言い換えようか。

彼は議会制民主主義の大臣に望む最低ライン「対話」すらクリアできない人間だ。登壇者の多様性を図ったのだろうがそれなら他にいくらでもいるではないか。少なくとも犯罪者(憲法違反か国際人権違反か)に白羽の矢を当てなくてもよかろうが。

🔸

今の政治家のほとんどが、さしたる才能がないばかりに地盤を受け継ぐしか脳がなく、お金の力だけで政をしているように見える。そこにあるのは、前述通り、右や左といった自分の思考もなく、ただ自分のインセンティブだけを追い求め、承認欲求を満たすことが目的となっている人間の群れである。

その群れを、私は「たいそうみっともない」と思う。安倍晋三氏の言うところの「いじましい人の群れ」である。

本題に入るが、

今は立派に歳を重ねた河野太郎、岸田文雄、小泉進次郎のような世襲議員は日本議会の中で相当数も多く、その割合の多さは先進国の中でも際立っている。

この人たちは最初からおじさんだったわけではない。

若い時分から、(前述通りさしたる才能がないがために)政治家になるよう見据えて将来設計して来た人たちだ。
生まれつき権力者であり市民を自分たちと異なる(なんなら下層の)存在であると切り離して、巨大な看板地盤鞄をあたかも自分自身の能力で得たと勘違いしたまま、歳を重ねた人たちである。

現在の日本で盛んに取り沙汰される世代間の確執、これは、誤りであると明確に指摘したい。

若者と老人を対立構造に持ち込んで、得をするのは紛れもない、河野太郎のような(さしたる才能もなく思想もないままになってしまったある意味哀れな)権力者である。

市民は誠実に、冷静に、そして楽しくクールにセクシーに、物の本質を見極めなければならぬ。

現在日本で本当に問題となっているのは、連綿と続く権威主義、独裁制である。膠着し停滞し低迷し続けるこの日本は、政をせずに自分たちの旨味ばかりを追い求める権力者によって作られていることも理由の一つだと思う。
彼らにはそれこそ合理性もなければ生産性もない。彼らは市民にはコスパを求めるが自分たちはお構いない。
そしてその傲慢さは、若い時から着々と積み重ねられたものだ。

「若者を議会に」

というムーブメントには賛成しかない。

しかし同時に日本では、それだけでは全く足りていないことにも刮目したい。
多様性のある議会を作るには、世襲でないことやバックグラウンド、もちろん性別やヒエラルキー、出自などの多様性が不可欠である。

そこに目を向けることなくただ単純に「若さ」だけを追い求めると、間違う。今回もそういう雑な論議を見かけた。

若けりゃいいものではない。

繰り返すが、小泉進次郎も河野太郎も、それこそ麻生太郎にも、若い時はあったのだ。若い時の彼らが議会にいたところで議会の多様性とは程遠いことは想像いただけるだろうか。

旧帝大も最早、経済的に恵まれた人が行く大学となってしまい、ますます日本は出自で人生が決まる未開社会のようになって行く。その成れの果てはアメリカが示している通り。

国の最高機関の一つ、国会の議場に、年齢、性別、障害の有無といった多様性はもちろんのこと、目には見えづらい部分の多様性も追い求めたい。世襲議員には市民の暮らしは分からないし、生まれた時から経済的な不条理を経験していない人物の持つ鷹揚さ、そして同時に傲慢さは、ますます分断に拍車をかけることだろう。

日本の病理は、年代ではない。現代の驕り高ぶった政治家は、老いて驕り高ぶるようになったのではなく、「驕り高ぶった属性」なのである。ボーイズクラブを続けるためなら彼らは悪魔に魂だって売る。

結局、世代間議論では解決しない物事は多数ある。ヒエラルキーであり、階級であり、権力を持つものとそれを持たないものであり、知識層と非知識層であり、それらの複合体、インターセクショナリティであり…そんな細やかな構造の部分にも着目して行かないと、盛大な間違いを犯す。

歴史上、単純な対立構造に焦点を当てた末に引き起こされたジェノサイドはナチスや文化大革命、スターリン、ピノチェト…などなど、枚挙にいとまがないではないか。

岸信千代や岸田翔太郎は若者代表の政治家ではない(注:政治家になるとして)。
同じレトリックでは、高市早苗や山谷えり子や上川陽子は女性代表の政治家ではない。彼らを議会に混ぜたとて、現在の真っ黒なパレットは真っ黒なままである。なぜなら彼らも結局は同じ色だからだ。
多様な議会制民主主義の国会というパレットには、混ざり合わない様々な絵の具があって欲しい。今の自民党には、同じ絵の具しか居ない。いや、元は違う色だった絵の具もいるが、自民党の黒が強すぎてすぐに黒に変わってしまう。

おしなべて簡単に「老人を排除せよ」という若者を私は危険視する。ユース民主主義も文化大革命のような轍を踏まぬよう、祈るばかりである。

人権の世紀と言われた20世紀から、またステップアップして国作りをしていくことが、これからの地球人には必要なのではなかろうか。

再生可能エネルギー導入に向けて規制見直しを目指す内閣府のタスクフォースで民間構成員が提出した資料に中国国営企業のロゴマークの透かしが入っていた問題を巡り、26日の衆院地域活性化・こども政策・デジタル社会形成特別委員会で、河野太郎デジタル相が立憲民主党の中谷一馬衆院議員の質問に対し、「委員会の所管外」を理由に自身ではなく事務方に答弁させ続ける場面があった。

河野氏は兼務する規制改革担当相としてタスクフォースを所管するが、同特別委員会はタスクフォースが目指す規制改革は所管外となる。


中谷氏は同特別委員会が所管する「デジタル行政改革の視点で」と述べた上で、一連の問題の改善策について見解を求めた。河野氏は「所管外の委員会なら副大臣や政府参考人らが答弁するのが院のルール」「規制改革の質問は所管の委員会でお願いしたい」「所管の委員会を認識せずに質問する質問者の問題」などと「所管」を理由に計8回答弁を避けた。

中谷氏は「答弁しない姿勢はどうかと思う」と河野氏の姿勢を疑問視した。

一方、河野氏は同特別委員会終了後の記者会見で、一連の問題について「お騒がせして申し訳ない」とした上で、「ロゴに有害な要素が入っていないことは確認できた。事実関係を調べて対処方針を決めたい」と語っていた。


河野氏を巡っては、「所管外」などとして答弁を避けるケースが少なくない。令和5年2月の衆院予算委では原発政策や外相時代に関わった北方四島を巡る日露交渉などについて「所管外だ」との答弁を12回繰り返した。また、平成30年12月の記者会見ではロシアとの平和条約締結交渉をめぐる記者の質問に対し、「次の質問どうぞ」と4回連続で繰り返し、応答を拒否したケースもある。(奥原慎平)

thesankeishimbun2027/3/27

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