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幼さの  『蹴りたい背中』を読んで

 ずっと「高校生の物語だ」と思いながら読んでいた。というのも、主人公のハツも、もう一人の登場人物である蜷川も、思春期の嫌なところを煮詰めたようなキャラクターをしている。
 解説を書いた斎藤美奈子さんが指摘した通り、ハツは強がりだ。周囲と馴染めない原因が自分にあることを認めたくない。一見、理論の通っているような考えを持っているが、それは馴染めなさの肯定するためのものにすぎない。例えば顧問の優しさ(甘さ)と部員の悪知恵(強かさ)が噛み合って部活が早めに切り上げられたとき、彼女はこれを「需要と供給の一致」と言った。部員にかまってほしい顧問と自由な時間が欲しい部員たち。需要と供給を一致させるためにお互いに歩み寄ったのだと彼女は分析した。さらに、ハツの態度・発言を「本当は何も見えていないんだね」と陸上部の先輩に指摘された際には、両者の絆が嘘でない可能性が頭を過ぎるも先輩の指摘を「先輩たちのやり方に染まらない私を脅威に感じて出た去勢」と自分に言い聞かせた。
 ハツには役割意識の強いところがあり、それはおそらく中学時代の友達グループに起因している。友達といるときの沈黙を嫌うハツは、常に面白い話をしなければ、という意識に駆られていた。そのことが苦痛で高校では友達を作ることなく生活している。実際にはハツが一方通行的で相槌しか打てないような話題を出していなかったからであり、そのことを中学時代からの友達の絹代に優しく諭された際には「もういい」と言って切り上げてしまった。
 素直なのは自分で、他人は周囲に阿ているのだという自覚。周りは役割を与えられて行動している、つまり本当は無個性で対照的に自分にはアイデンティティが備わっていると思い込む形の自己防衛は思春期によく見られるものではなかろうか。そして自身の根本的な原因を指摘されたとき、アイデンティティを傷つけられたと思って攻撃的な姿勢を取るのもまた思春期の人間によくあることだろう。プライドが高いと言うよりもアイデンティティのために考え方を変えられない、見方を変えられない。素直にストレス無くコミュニケーションが取れている人間を認めたくない、というのがぐりぐりと伝わってくる。

 『蹴りたい背中』の蹴られる側、蜷川は「オリチャン」というアイドルしか興味がない。興味がない、という言い方でいいのか迷うほど。オリチャンに対しては強い執着心を示し、それ以外に関しては無頓着という歪なバランス。オリチャン本人のみならず彼女の露出がある媒体全般に執着心を向けていて「オリチャン」の中ではバランスが取れているから、いわゆる厄介オタクにはなっていない。せめてそこが救いだろうか。こちらも思春期に入ってからよく見られる。
 この手の(私もそうなのだが)人間は、それまでもあまり人と接してこなかったパターンが多いと思う。あまり接してこなかったがゆえ、一般的なコミュニケーションも適切なコミュニケーションも知らずにいる。ハツが「オリチャンに会ったことがある」とカミングアウトした際、彼は目的を告げずにハツを自宅に招いた。そして自分の部屋に着くと「オリチャンに会った場所を詳細に書いてくれ」と言う。これは学校でもお願いできることだし、どういう目的があって家に招待するのかあらかじめ伝えてもいい。でもそうしない、そうできないのはコミュニケーションの経験不足であり、自室以外にセーフティな場所がないからではなかろうか。授業中にオリチャンの雑誌をひろげているくせに。
 また、オリチャン以外への執着のなさも異常だ。ハツが部屋にいるにも拘わらず制服から私服に着替えたり(断りは入れた)、ハツに蹴られてもオリチャンの話に誘導されればそれ以上蹴られたことについて言及しない。ハツにキスされても特別意識することはなく、オリチャン以外の他人、そして自分自身に対しても意識が向いていない。何よりそれを問題視していない。

 そして驚異的なことに作中でこの二人は成長しない。ハツの嗜虐心の目覚めの物語ではあるのだけれど、それは変化であって成長ではないと思う。私も新しい感情の芽生えがタイムラプスのように描かれている小説が好きだったら、この小説に唸っていたに違いない。唸るというより頬を紅潮させて嘆息する方が合っているだろうか。ただ現在の私はそうではないのでひたすらに二人の幼さが目に留まった。
 十九歳で芥川賞を受賞したこと以上に、十九歳でここまで高校生を書けることに心底驚いた。いや、却って大人になってから「高校生はこういうものだよね」という考えを持ってしまうと高校生のリアルが書けないのかもしれない。文筆の才を持った人が、かなり早い段階で小説に触れ小説を書き、高校生のリアルが薄れないうちに作品を書き上げたという、改めて希有な奇跡の上に作品が誕生することを感じさせられる。
 なんというか「とんでもねえ奴と同じ時代にうまれちまったもんだぜ」といったかんじだ。彼女の作品に心酔しているわけでもないが、ひとまず手元にある作品はすべて読んでおこうと思う。刺さる刺さらないは別にして読んでおくべき作家だなと思った。止められない人間ほど「俺はいつでも止められるから」などと言うものだが彼女の作品は果たして。


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