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『まちうた』という文芸誌を作っています

この記事は、『一次創作イベント・合同誌主催や創作者に寄与する活動をしている人が1年を振り返るAdvent Calendar 2024』に参加しています。

こんにちは。日々詩編集室の井上です。
今回『一次創作イベント・合同誌主催や創作者に寄与する活動をしている人が1年を振り返るAdvent Calendar2024』ということで、一年を振り返ったり、来年についていろいろ考えていることなどをお話しできたらいいな~と思います。

まずは自己紹介から。
三重県津市にある、喫茶/デザイン/出版の複合店「HIBIUTA AND COMPANY」のなかの、出版部門が日々詩編集室です。
黒田八束さんの『ゴースト・イン・ザ・プリズム』や、孤伏澤つたゐ『ゆけ、この広い広い大通りを』など、小説の本を作りながら、「まちのひとと本をつくる文芸誌『まちうた』」という雑誌を年に4回、刊行しています。

今回はこの「まちのひとと本をつくる文芸誌『まちうた』」について、振り返りをしたいなと思っています。

「まちうた」は、2023年12月に創刊準備号を刊行、以降、2024年3月に創刊号を刊行、その後6月号・9月号と続き、2024年12月号が最新号です。
HIBIUTA AND COMPANYは「違いのある人が共に過ごせる共有地」をコンセプトに運営されている施設です。いろいろなルーツ、背景、属性、――どんなひとでも、「ここにいる」場所。
カフェや、ワークショップであれば、「お客さんが来てくれる」ので、そのコンセプトを体現しやすいですが、「出版」となると、これって結構、むずかしいな……? というのがありました。
「本」という媒体は、同人誌の世界では複数の著者がテーマに沿って執筆したアンソロジーという形態も一般的ですが、市場流通している書籍は、一人の著者が内容をすべて執筆する単著の形が多い。日々詩編集室は(いちおうは!)商業出版、という業種に含まれてきますので、単著を刊行することが多いのですが、それって「共有地」なのかな?
たしかにひとりの著者が、多くの存在にとっての「共有地」となり得る書物をつくることもあります。けれど、「ともに過ごせる」って何だろう?
そう思ったら、たくさんの作家さんの原稿で一冊の本をつくるのがいいなあという結論に到達しました。
さて、では、どんな「作家さん」に書いてもらいましょう? 日々詩編集室が分類されるだろう商業出版というのは、ある一定の基準(たとえばそれは巧拙であったり、有名な人であるかどうか、最近だと、SNSのフォロワー数、とかもあるのでしょうか)を満たしたひとを書き手として招き、本をつくる、ということが多いようです。
事業として本を作っているので、当然、「ある一定の基準」を満たした書き手の作品を刊行していくこと、というのは、この資本主義はびこる世界で物を作って売っていく、生き延びていくためにはたしかに必要な事業です。
――が、同時に思うわけです。
この「ある一定の基準」って、ものすごく一方的だよね、と。
たとえば、わたしたちが手に取れる本を眺めてみると、それらは整然と体裁が整えられています。読者に伝わることを目的とし、その技術を持っている作者・版元が作っていくので、当然、「読みやすい」。これは内容の難易ではありません。「読みやすい」というのは、文法が整えられ、多くの人が「慣れ親しんだ」文章の形態で書かれている。作家はよく「文体のオリジナリティ」を口にしますが、そのオリジナリティだって、「読まれる」ことを前提として構築されたものです。どうすれば「読まれる」か、どうすれば「読ませられる」か。それらを試行錯誤することができる存在、試行錯誤を他者とやりとりできる存在、だけが到達し得る「場」として、多くの書物(これは商業出版に限らない、とも私は思います)は機能している。
「本」の流通に関しては、文学フリマをはじめ同人誌即売会、という場も盛んになっています。文学フリマという場の盛り上がりは、「(商業)作家」という権威を持たないひとたち、個々人で物語を作り楽しむ人たちが、「わたし」の物語をだれかに手渡してゆくこと、を容易にしたように思います。
けれどイベント会場に行く計画を立て、申し込みをし、手渡す本を作ることができる人、というのは、経済・物理的距離・個人の能力に左右され、やはり一握り。弾かれてしまう人が多いのも確かです。
「だれでも参加できる」というのは、やはり、「ある程度の水準をクリアした能力を持つひとであれば」という前提がつくのです。

けれど、「表現すること」「書くこと/読むこと」は、だれもに開かれているものであってほしい。
たとえばそれは、今まで刊行されてきた「本」というシステムに、到達が難しかった書き手にも、ということです。
HIBIUTA AND COMPANYは福祉施設の側面も持っています。利用するひとのなかには、生まれながらの障害や、さまざまの事情から、現在流通しているかたちに成型した文章や作品をつくること、がむずかしい人たちもいます。そういったひとたちが作品をつくったとき、収録する本や、流通をさせる、ことに取り組んでみよう、「違いのある人たちが共に過ごせる共有地」を「本」でつくろう、と動き始めたとき、思いついたのが選考に依らない募集でした。
先着順で、投稿のあった方の作品を「作の巧拙を問わず」収録する。
商業出版という形態で本をつくるとき、やはり「この本が購入されるのだろうか」というひとつの基準、――「多くの読者が獲得できるか(読みなれている形態か)」という問いが発生し、その問いの答えとなる表現のものを選別するでしょう。けれど、その「問い」が発生しない形態にチャレンジしたかった。その「答え(選別)」に到達しない本づくりをしていきたかった。
『まちうた』の募集要項の一番大切な部分ができました。
もちろん、そのまま受け取って、そのまま掲載することが可能な原稿ばかりではありません。
初めて書くひと、これまでは発表の場すらなかったひと、の作品は、「本としてだれかが手に取ったとき」、致命的なダメージを与えるものであることもあります。収録すべきでない表現だって、もちろんあります。個人の心の中でどのようなことを思うのも自由ですが、「本」という必ず他者につながること(あるいは望まずとも他者とつながってしまう)を目的とした「現象」には、ある程度の線引きが必要です。
要項にはそれらの文面も記載しました。
それから、「三重県に縁のある方優先」という文言もつけています。この絞り込みには迷いがありましたが、日々詩編集室は編集業務にあたるスタッフが一人の出版社なので、全国からたくさんの原稿を預かって、ということはできません。
それに、つくりはじめて気が付いたことなのですが、投稿作品には結構、投稿者さんの身の回りの出来事が、エッセイだけでなく創作でもたくさん取り入れられています。いま「目の前で見えていること」それがどんなに楽しかったか、素敵だったか、うつくしいか。この場所で「どんな物語を見ているか」。それらは、同じ場所・地域を見ている人だとよりいっそう楽しいものです。
流通に関しても、日々詩編集室は、日本全国のどこの町の書店でも購入できるような販路を持っているわけではありません。ゆっくり地道に、できた本を手渡していくスタイルだから、読者さんとの出会いも「あっ、これ、うちの近くだ」というようなものが必然的に多くもなります。
「この場所」で作れる、「この場所」で届ける、をやっていこう、と。

毎回、原稿が届くと、試行錯誤の連続です。壁にばかりぶち当たります。ほとんど無条件みたいな要項に後悔する日もあります。
けれど、『まちうた』をやっていくのは、「まだだれも触れたことのない表現」を、必要とするひとにとどけたいから。
今、この世界に流通している本、は、全然足りていない。書くことができる人、本をつくる能力を持っている(もしくはその能力がある機関や人とつながることができる)人、にだけ、つくることが可能なものです。世の中にひとつくらい、その埒外にあるひとの作品が「本」になるような場があれば、ここからちょっとずつ、広がっていくものがあるんじゃないかな、と考えています。
小さな場でいい、届けられる人にだけでいい、――そのなかに、「これ、わたしの物語でもある」と、思うひとがいて受け取ってくれるだろうと、一年間やってきました。
エッセイ、マンガ、小説……いろいろな作品が集まりました。今まで、どんな「本」にも収録されていなかったような書き手の作品も、もちろん収録しています。

「まちのひとと本をつくる文芸誌『まちうた』」は、2024年12月でちょうど一周年。
来年の展望?
そうですねえ、「書きたい」と思っただれかがいつでも投稿できるように、この場所をずっと続けていく、にしておきましょう。


※『まちうた』は現在2025年3月号の原稿を募集しています。
詳細はinfo@hibiuta.orgまでお問い合わせください。

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