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話すということ

私には1985年生まれの同い年の夫、唯(ユイ)がいる。
男の人で名前が、唯。
つけた唯のオカンはオシャレだな〜と思う。

唯とはよくお互いに話す。(と、私は思っている)
娘が生まれる前は、仕事から帰ってきてからはもちろん、食事中も、寝る前も、朝起きてからもずっと話していた。メールの中でも話をしていた。
その日の出来事はもちろん、今興味あることや、時事ネタ(主に唯が)、昔のことや将来のこと。不安に思っていることや楽しいこと、やってみたいことや今考えてることなど。

娘の日々が生まれてからは、時間がなかなかとれない。
というのは、私たちがあまりにも2人で話すので、日々が嫉妬(?)をするのだ。
私たちが話をしているのに、わざと用もないのに「ねーねー、あのね」などと言って間に入ってきたり、困らせるような動きをしてみたり。特に私たち2人が楽しんでいる時に、よくそんな行動をする。
話が盛り上がる良いところで遮られるので、もやもやだけが、いつも残っていた。

そのため、まだ娘が眠っている朝に早く起きて、話すことにした。(夜21時には日々と一緒に寝るので)
話すということで、自分が今何に興味があり、何を不安に思っているのかを明確にすることができるし、相手の話を聴くことで今何を考えていて、家族として今どんな状況が心地いいのか、考えることができる。

でも最近ふと思うのは、そんな堅苦しい話題だけではなく、例えば一緒に食べたご飯や一緒に観た映画、共通の本を読み終えた後に、感想など共有できるだけでも十分なのではないかということ。
そしてそういう存在がいるというのは、とても幸せなんじゃないかということだ。


日々は最近、映画を見終わった後に「もう一回観たい」とよく言う。
そしてふと、車の中で思い出したかのように「ひびはね、あの映画のね、お友達と仲良くなる場面でね、、、」などと自分が感じたことを話すようになってきたのだ。「お母さんはどう思う?」などと聞いてくることも度々。

いつの日か、夫と日々と3人で、映画感想会や読書会をできるのを楽しみにしている。

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