天橋立の微妙な立ち位置と、心の中にある誰にも奪えないものについて
先日、天橋立に行ってきました。
日本三景として名高い天橋立。いやー松並木も昇り龍も最高ですね!
……本当にそうか?
日本三景のラスボス
さて、以下の 3 つの景勝地は日本三景として知られています。
松島(宮城県)
宮島(広島県)
天橋立(京都府)
このうち、上の二つは行ったことがあるけど、天橋立だけは行ったことがない、という人は多いのではないでしょうか。私もそうでした。
その理由は明確で、天橋立だけアクセスが圧倒的に悪いからです。松島は新幹線駅である仙台駅から 30 分、宮島は新幹線駅である広島駅から 30 分以内でいけますが、天橋立だけは新幹線駅である京都駅から約 2 時間かかります。ちょっと寄ってみようってレベルじゃない。
松被りすぎ
更に、私は現場に行くことにより明確なウィークポイントを発見しました。
被っています、松が。松島と。
そもそも、万葉の時代ならともかく、誰もが「感動」より端的に言えば SNS ウケを求めるこの時代、松メインで戦うのは正直厳しい。その点、宮島は、海に浮かぶ神社という、圧倒的な「映え」があるので一歩抜きん出てる感があります。
また、これは天橋立(本体)に行って気付いたことですが、天橋立(本体)にいると天橋立(概念)にいる気がしません。普通に松と砂浜と道があるだけなので。
少し離れたところにケーブルカーがあって、その上にある展望台から眺めると、ようやく天橋立(概念)が見えてきます。撮れ高的な観点から考えると、天橋立(概念)の本体はこの展望台にあると言っていいでしょう。
一日がかりなのに
展望台を登りきったら、そこで観光としての天橋立は終了。旅館に泊まってズワイガニを食う人も、少しはいるかもしれませんが。
松島も宮島も、やることは結局写真を撮るだけなのかもしれませんが、そちらの場合は大都市に近いので、景勝地に立ち寄ることがほとんどロスにななりません。一方で、天橋立に行くことは、一日をほぼそれに費やすことを意味します。それでこれではあまりにもコスパ/タイパが悪い。
現代人の旅行者、特にインバウンドの方々にもわかりやすい魅力を伝えるため、私は以下のような施策(妄想)を提案します。
目玉として、超豪華な屋形船を用意します。これは富裕層用、というかインバウンド用です。 カニを中心として超豪華な日本料理をふるまい、あわせて宮津湾で適当に花火でも打ち上げます。なんなら DJ を呼んでもよい。また、展望台ではビアガーデンを開きます。他にも、お金のない人用には、天橋立のビーチを解放して、そこのテラスで酒を飲めるようにします。この間、ビーチはキャンドルでライトアップして、どこを撮っても写真映するようにします。
屋形船! カニ! 花火! ビアガーデン! 酒! ライトアップ! いやー実に浅ましい。こういうのを毎週末企画できればかなり流行る気がします。
舞鶴
そう言えば、天橋立の近所には舞鶴があるので、そこにも行ってきました。特に目的もなかったので、インターを降りた先で真っ先に看板が目についた 舞鶴引揚記念館 に行ってみることにしました。
シベリア等に抑留されて、極寒の異国で絶望の時間を過ごした後で、日本への帰還を果たした人達。また、果たせなかった人達。それらの記録が克明に残されていました。
その中でひとつ、個人的に一際、心に残ったものがありました。
麻雀牌です。
もちろん、日本から持ち込んだ訳ではなく、抑留の中で自作したものです。調べてみて知ったのですが、日本におけるリーチ麻雀はまさにこの引揚者から広まったらしいです。このような麻雀牌から、まさに日本の麻雀の歴史が始まったのかもしれません。
生きて帰れるかもわからない極限の生活の中で、この麻雀牌の作者は、何を思ったのでしょうか。
「ショーシャンクの空に」という映画を思い出しました。無実の罪で刑務所に入れられた男の物語です。
元エリート銀行員の主人公アンディは、図書室の整備の過程で偶然レコードを手に入れますが、それを放送室で勝手に流します。刑務所の中では当然反逆行為となり、懲罰房に入れられます。
懲罰房から帰ってきたアンディに対して、囚人仲間達が声をかけた一幕が以下。
どれだけ理不尽で過酷な状況でも、人間の心からは誰にも奪えないもの。
麻雀牌を作った人にとって、きっと麻雀もそうであったのでしょう。
アンディが、懲罰房に入れられることを承知の上でレコードのボリュームをあげたように、彼もまた、明日にでも死ぬかもしれない状況でも、直接的なメリットがないにも関わらず、大切な何かを守るために、麻雀牌を掘ったのだと思います。
私は今までの人生で、幸運にも、監禁されたことも強制労働生活をさせられたこともありません。これからもないことを信じたいです。ただ、そのように時になっても、誰にも奪えない何かがあると良いなと思います。
それは様々な言われ方をします。時に娯楽であったり、時に文化であったり、時に教養であったり。
なお、「ショーシャンクの空に」で、アンディがそれを何と呼んだか、そして彼がどのような結末を迎えたかについては、映画をまだ見ていない方がいたら実際に見て確認されたいです。
舞鶴港は終戦直後から 13 年もの間、多くの引揚者を受け入れてきました。件の麻雀牌の作者も、その中に含まれていた可能性は高いでしょう。故郷の土を踏んだ時、彼は何を思ったのでしょうか。
私も、最近はリアルでは打ってませんが、たまには雀荘に行くのもいいかもしれないと思いました。
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