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画用紙に書き出すこと

月に一回、とある人と話をする。

私はこの質問をS氏に投げかけようと決めていた。
絶対に答えを濁したり、適当なことを言わないと知っていたから。

私は「生きている意味とはなんでしょうか」と口を開く。

人より飛びぬけて何かできるわけでもなく、むしろ逆でできなくて苦労してきた。チャレンジするも失敗を繰り返し、今は心も体も伸びきった餅のようで形は戻らず、無気力だ。
希望を持たず生きることは期待なんてしなくて楽だ。でもそれじゃあ、生きる意味はないんじゃないかと、喉が締め付けられながら伝えた。

「あなたは良い雰囲気を持っているから、それを必要としている人はいると思いますよ」とS氏は言う。

この人は、お世辞やなぐさめでそんな言葉を言うタイプではないと思っている。だからありのままのような気がした。信じようと思えた。

昔から変わっているとか、変とか言われて心が傷ついて、みんなと同じになれないことが苦痛だった。
でもこの言葉は私だからできることがあるんじゃないかと自分の存在を灯した。

S氏は期待させる言葉や強い言葉は言わない。醸し出す空気は私も自然な言葉を紡ぐことができる。
どこか感覚的な部分が少し似ている気がする。

私は同じ日、似たような空気にまた遭遇する。
都内の帆布のバッグを作っている工房。同じ建物で販売もしている。
どうしても欲しいバッグがあった。しかし、欲しい色は見当たらない。工房のガラス扉をコンコンと叩いてみる。丸眼鏡の人が気づく。

見たかったバッグの話をすると品切れだという。でもその人の商品に対するこだわりや、私のここのお店との出会いなどお互いの言葉を交わし、やわらかい雰囲気や会話のテンポが心地よかった。

友達の少ない私はよくわからないけど、通じ合えるとはそういうことなのだろうか。

友達も今日、会った人もそうだけど、
真っ白な画用紙のような温かみがありながらも、鉛筆やペンなどでそれぞれの個性を書き表す。太いも細いも、色も質感も違う線。でも余白を残し相手を受け入れることも忘れない。シンプルなのに誰とも同じでない。
私はそんな人が好きなのかもしれないと考えた日であった。



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