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「息子がつないだ命のバトン」 田村孝行さん

企業防災のあり方訴え

 大崎市に住む田村孝行さんは、東日本大震災の津波で、七十七銀行女川支店の行員だった長男の健太さん(当時25)を亡くした。健太さんは上司の指示で同僚らと高さ約10㍍の支店屋上にとどまり、犠牲になった。「高台に逃げていれば助かった。こんな悲劇は二度と繰り返されてはならない。全ての企業に、今一度、命を最優先にした防災を深く考えてほしい」。穏やかな口調ながら、どこか感情を押し殺したような険しい表情で語った。

 箱型2階建ての女川支店は観光、物産施設だったマリンパル女川のすぐ裏にあった。発災後、町の防災無線は速やかな高台避難を促していたが、同支店では指示で行員ら13人が屋上にとどまった。目撃者によると、津波が襲来するやいなや一瞬でのまれたという。

「七十七銀行女川支店のような悲劇を繰り返してはならない」と訴える田村さん

 生存者はたった1人。近隣には他にも金融機関があったが、いずれの従業員もすぐ職場を離れ、町立病院が立つ堀切山(海抜約16㍍)などに逃げて無事だったという。この山は町指定の避難場所で、当時は町民ら約600人がこの場に避難した。「女川支店と堀切山の間は走ればわずか1分。逃げていれば間違いなく命は助かっていた」。

 孝行さんは妻と共に毎日のように女川に通い、行方不明の健太さんを捜し、がれきに覆われた町をさまよい歩いた。半年後の平成23年9月。女川湾内で捜索活動中だった海上保安庁の船が、海上で健太さんの遺体を見つけた。

 「どんなに怖かったか、悔しかったか、悲しかったか、無念だったか。なぜ女川支店だけが職員の命を守れなかったのか。現場で何が起きていたのか」。再発防止と真相究明のため、田村さんは他の遺族と共に銀行を相手取り安全配慮義務違反を問う訴訟を起こしたが、裁判所は「屋上を超えるような巨大津波の予見は困難」と訴えを退けた。

海側茶色の建物がマリンパル女川。中央奥の白と茶色の建物が女川支店

 判決に納得していない。「誰が見ても山に勝る高台はなかった。いったい銀行は何を守ろうとしたのか。優先すべきは人の命。『仕方がない』では済まされない。働く者の安全に配慮するのが会社の義務だ。親として健太を生かし続け、未来の命を守る」と田村さん。

 夫妻は令和元年に一般社団法人「健太いのちの教室」を立ち上げた。企業防災や安全対策につながる情報発信や研修を県内外で繰り広げ、命を大切にする社会づくりに向けた活動を展開している。

 田村さんは「災害を想定外にせず、教訓として生かす。企業は立地条件などに合わせて事業所ごとに知恵を絞り、防災訓練を重ねるべき。日常から部下の意見にも耳を傾ける柔軟な職場環境は、有事の際、命を守る組織行動につながる」と企業防災のあるべき姿を訴えた。

 「私は語り部ではないが、語らざるを得ない。健太から『頼んだよ』とバトンを渡されたと私たち夫婦は思っているから。次代を担う若者も、この出来事と教訓を考え、伝え続けてほしい」と望んだ。
【山口紘史】

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