東北勢初「白河の関」越え 夏の甲子園 仙台育英が全国制覇
東北高校球界の悲願だった大優勝旗がついに「白河の関」(福島県白河市)を越えた―。甲子園球場で22日に行われた第104回全国高校野球選手権大会の決勝で、宮城の仙台育英が下関国際=山口県=を8―1で下し、頂点に立った。この歴史的快挙に多くの県民が歓喜。仙台育英宮城野校舎内のホールでは在校生らが喜びを爆発させた。
ホールには系列の秀光中生で構成する硬式野球チーム、育英の陸上部やバスケットボール部、教員が集い、大型テレビで観戦。攻撃時はテレビから聞こえる吹奏楽演奏に合わせて手拍子を送り、得点のたびに校名入りのタオルを回すなどして応援した。七回に岩崎生弥内野手(3年)が満塁打を放った際は「うわぁー」という歓喜と拍手で揺れた。
育英の2番手・高橋煌稀投手(2年)が最後の打者を内野ゴロに打ち取るとホールの喜びは最高潮。全員総立ちし、飛び跳ねたり肩を組んだりして歴史的瞬間を喜び合った。
女子バスケ部1年の佐藤寧音さんは号泣しながら「本当にうれしい。先輩たちの努力する姿を見てきたので感極まった。同じ高校の生徒として誇りに思う」と語った。育英の軟式野球部で3年間マネジャーを務めた山本こころさん(3年)は「硬式野球部の皆も毎日、朝から夜まで練習に励んでいた。連戦で疲れていると思うのでまずはゆっくり休んでほしい。とにかく本当に『おめでとう!』という気持ち」と労った。
東松島市の矢本二中出身で育英の生徒会執行部役員も務めた佐藤優真さん(3年)は「感動的な場面に立ち会えるなんて幸せであり誇らしい。大きな勇気をもらえた」と笑顔で話した。
硬式野球・仙台育英学園秀光ボーイズの中学生たちは、育英のメンバーと同じユニホーム姿で観戦。エースで3年の佐々木隼登さん(15)は「先輩方の歴史的勝利に強い刺激を受けた。僕も育英に入り、甲子園のマウンドを目指したい。その気持ちが一層強くなった」と目を輝かせていた。
【山口紘史】
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石巻地方出身OBも祝福
決勝初進出の主将・高橋さん
92回大会出場の日野さん
1世紀以上閉ざされていた扉が開かれ、ついに深紅の優勝旗が白河の関を越え、東北地方にもたらされた。石巻地方出身で、仙台育英の硬式野球部で甲子園の土を踏んだOBも祝福の言葉を寄せた。
仙台育英が夏の甲子園で初めて決勝に進んだのが平成元年。この日も今回と同じ8月22日だった。剛腕大越基投手(現・山口県早鞆高校監督)を擁したが延長戦の末、帝京(東東京)に敗れた。この時の主将が石巻市雄勝町出身の高橋左和明さん(51)。現在は、山形県の私立九里学園高校で硬式野球部の監督も担う。
決勝は同僚と一緒にテレビで観戦。自分たちが成し得なかった30年越しの悲願に「ようやく白河の関の呪縛が解けた。その役目を果たすのは母校である育英であってほしいとも思ってきた」と万感の思いで語った。
高橋さんは高校時代を「全国制覇を本気で目指した毎日」と振り返り、あと一歩と迫った決勝は「とにかく本塁が遠い。大越のため何とか1点をと思ったがかなわなかった。充実感もあったが、悔しさが一番」と思い起こした。
偉業は石巻地方で野球に励む子どもたちの胸も熱くさせた。高橋さんは「育英の優勝は努力の結果。何かを頑張って良かったと思えるよう、結果はもちろんだが、過程も大切にしてほしい」とメッセージを送った。
一方、万石浦中、石巻中央シニア出身で22年の92回大会に遊撃手として出た石巻信用金庫本店営業部の日野聡明さん(29)は、自宅で後輩たちの活躍を見守った。「OBとして県民として誇らしい。多くのプレッシャーと戦いつつ、コロナにも気を付けなければならないという難しさの中で勝ち取った栄冠。本当に頑張った代だと思う」とたたえた。
【秋山裕宏、山口紘史】