変わり続けるまちの象徴 内海橋など架け替え進む
時は止まることなく刻み続け、東日本大震災から10年が近づいてくる。「復興」。その意味は曖昧だが、古里は姿を変えてきた。震災前の面影が残る場所もあれば、かつての風景に手を伸ばしても届かなくなってしまった場所もある。当時思い描いていた10年後の未来。あなたの目にはどう映るのだろう。その日を前に、あの日と今の2枚の写真を重ねる。【近江 瞬】
石巻市中瀬
津波が中瀬を飲み込み、ほとんどが更地と化した(平成23年4月11日)
石巻市の中心部を流れる旧北上川。河口部の中州である中瀬はまちを象徴する風景の一つ。5メートルに達したとされる震災の津波は、中瀬を飲み込むように川を溯上(そじょう)。波が引いた後に残ったのは石ノ森萬画館や「自由の女神像」など奇跡的に形を保ったものを除き、更地と化した光景だった。
多くの著名人が訪れ、市民にとって思い出深い岡田劇場も流失。萬画館はだ円型の外観が波を受け流したものの主要設備が全壊し、その後、発災翌年の11月の再開館まで休館を余儀なくされた。
石ノ森萬画館やハリストス正教会が復旧。新たな内海橋も架かった
(令和2年9月28日)
国内最古の木造教会堂で、昭和55年に中瀬に移設された市指定文化財の旧石巻ハリストス正教会教会堂は倒壊を免れたが、その後に解体。昨年8月に現地に復元された。復旧した中瀬公園は震災後に始まった総合芸術祭「リボーンアート・フェスティバル」のフィナーレ会場となるなど、再び憩いの場として親しまれている。
発災から9年半が過ぎ、中瀬地区は大きな変化の最中にある。今月10日には震災復旧で整備された新たな内海橋が開通。左岸の湊地区と右岸の中央地区が中瀬を経由することなく結ばれた。西内海橋は本年度内、東内海橋も令和4年度までに架け替えられる予定だ。
市は令和7年度までに中瀬全体を公園化する計画を打ち出している。野外活動広場や親水空間などの整備も想定され、景勝地である日和山公園から望む中瀬の景色は、震災10年のその先も大きく変わっていく。
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