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小説に描かれなかった事実 フランク安田に新たな一面

青年期支えた同郷者の存在 元湊小校長・遠藤さん講演

 明治中頃の米アラスカ州で、飢えや疫病に苦しむ先住民を救った石巻市湊出身のフランク安田(本名・安田恭輔、1868―1958年)を学ぶ講演会が9日、同市のかわまち交流センターで開かれた。雄勝町出身で元湊小校長の遠藤光行さん(75)が安田の生涯を解説。青年期を支えたという利府町出身の阿部敬介(1864―1898年)との交流も紹介し、独自の取材で判明した事実を伝えた。

 遠藤さんは、湊小で安田の関連資料をもとにした手作りの教材を使い、地元の先人の生涯を児童に伝えてきた。現在は「フランク安田・阿部敬介を語り継ぐ会代表」などの肩書きで活動。独自の視点で郷土史を研究し続けている。

 講演の冒頭で遠藤さんは「エスキモー」という呼称に言及。「アラスカでは公的な文章は全てエスキモーで統一されており、当事者もそれを自認しているそう。今回はこれに準じるが、カナダなどでは蔑称となるため注意」と説明した。

 その上で安田の生い立ちを解説。父親の死後、外国航路の見習い船員となり、アラスカ最北にあるエスキモーの村に降り立つ。鯨の不漁による食料不足やはしかの流行が襲う村を救おうと、エスキモーを連れだって内陸部を目指しては、私財を投げ打ちビーバー村を開拓した。

フランク安田と阿部敬介のつながりについて語る遠藤さん

 「小説『アラスカ物語』の影響から、我々は安田に孤独でたくましいイメージを抱きやすいが、そんな安田にもどうやら兄と慕う同郷の先輩がいたようだ」。その人物が阿部敬介であり、近年、そのつながりが明らかになってきた。

 遠藤さんによると2人は、明治19年に横浜港から出港したアメリカ船内で出会った可能性が高い。安田は船員として、敬介は鉄道について学ぶため渡米しようと乗船。「安田は同郷の先輩である敬介に伴われ、サンフランシスコで下船したようだ」と説いた。

 講演会では、2人の2度目の出会いとなる米国大蔵省税務局巡羅艦船ベアー号の乗船記録も紹介。当時の法律で鉄道会社への就職がかなわなかった敬介が先にベアー号に勤務しており、ある程度の地位を得てから安田を勧誘した可能性が高いという。一方、「記録に2人の名はあるが乗船した場所は異なり、その点を調べる必要はある」と指摘した。

 最後に「安田が敬介にどのように感化されたのかは知り得ないが、大きな心の支えになっていただろう。文学の価値は不変だが、歴史は新事実を加えて見直されるべき。行政や教育現場、観光などでフランク安田について伝える際には、ぜひ阿部敬介のことも紹介してほしい」と結んだ。

 講演会は石巻観光ボランティア協会(齋藤敏子会長)主催。市民を中心に約50人が聴講した。【泉野帆薫】

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