震災後の孫兵衛船建造 奈須野さん
石巻市最大の行事である石巻川開き祭りの開幕が迫る。北上川を改修して石巻発展の礎を築いた川村孫兵衛翁への報恩感謝の祭りとして大正5年に始まり、今年、第100回を迎える。長い歴史の中で花火大会、水上の孫兵衛船競漕、大漁踊りなどの陸上パレードが主要行事に定着。市民総参加を目指した祭りは関わり方もさまざまで、長く各行事を支えてきた人たちの「わたしと川開き」を記す。【熊谷利勝】
親子2代で水上の熱戦支える
孫兵衛船競漕は、旧北上川を舞台にした手こぎのボートレース。夏に清涼感を運ぶ水の都・石巻らしい行事だ。奈須野信之さん(68)=同市のぞみ野=は故・盛さんと共に親子2代でレースを支えてきた人。父の跡を継ぎ、東日本大震災後に船を作った。
信之さんと川開きのつながりは、家業の造船に携わり始めた18歳の頃。当時の水上行事は高校生のボートレースだった。2年後、「目新しいものはないか」と水上部の有志が話し合い、盛さんが出した案が孫兵衛船競漕。昭和50年に正式採用された。孫兵衛船というのは存在せず、盛さんが作った船のイメージは北欧のバイキング船という。
現在は職場のチームが主だが、かつては町内会も多数参加。人気が上昇し、平成5年に女性限定のミニ孫兵衛船競漕が始まった。盛さんが平成21年に亡くなった後も船の点検や当日の運営を支えた。
ところが、震災の津波で河口の雲雀野町にあった艇庫が被災。船はことごとく破壊され、言葉を失った。近くの自宅も工場も被災した。この年の川開きの開催は賛否両論あったが、「歴史があり、失ったまま終わりにすべきでない。やるべきだ」と思った。
当然、孫兵衛船競漕はできなかったが、孫兵衛の故郷・山口県萩市などから実行委員会へ支援があり、信之さんは新たな船の製作を引き受けた。震災から2年後の平成25年に最初の2隻で模擬レースを開催。「感慨深かった」と振り返る。翌年には孫兵衛船6隻、ミニ孫兵衛船は4隻になり、完全復活した。
「孫兵衛競漕は勝っても名誉だけの思い出づくり」と信之さん。「花火と同じで、それ自体は覚えていなくても誰かと一緒なら心に残るもの」と話す。どのチームもレースは真剣。「みんな競争心があるから、マンネリ化しない。事故なく続いてほしい」と言い、船の点検へ定期的に練習会場に足を運ぶ。
【メモ】第41回孫兵衛競漕と第25回ミニ孫兵衛船競漕は石巻大橋下流550㍍をコースとし、5日が予選と敗者復活戦、6日が決勝など。両日午前9時開始で、今年はレース実況がある。孫兵衛船は12人、ミニは8人乗りで、参加しやすいよう震災後はひと回り小さくなった。
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