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出帆地は月浦か雄勝か 使節船サン・ファン号 潜水調査で痕跡探る

 慶長遣欧使節船「サン・ファン・バウティスタ号」の建造、出帆の地を探る調査が15―17日、石巻市月浦の漁港で行われた。潜水士が海底にある痕跡を求めて海中を捜索した。使節船の出帆地を巡っては、月浦、雄勝町下雄勝の説がそれぞれあり、歴史ロマンの一つでもある。潜水調査で真実に一歩でも近づくのではと研究者らの期待も高まっている。

 使節船は、江戸時代に仙台藩によって建造された大型帆船。建造と出帆の地は、これまで月浦が定説となっていた。

潜水士が横並びになり、丹念に海底を調べた

 こうした中、市民有志で作る「サン・ファン研究会」(遠藤光行代表)は、当時の宣教師の残した航路地図や伊達政宗の右筆(書記)として仕えていた真山正兵衛の日記などから独自に研究を続け、「雄勝出帆説」を唱えている。また、地域住民の口伝では「雄勝で建造中に嵐で破損したため、より波が穏やかな月浦に移動させた」との話もあるという。

 今回の調査は真実に迫るための情報収集であり、県慶長使節船ミュージアム「サン・ファン館」(平川新館長)が実施。潜水作業は二ホン海洋㈱(徳増良平代表)=同市湊町=が協力し、月浦漁港の海底に潜った。徳増代表は、東北学院大学スキューバダイビング部で顧問をしており、同部の学生も参加した。

海底から引き揚げられた石

 地上から計測工具を使って距離を測り、岸から70メートル、幅50メートル、水深5メートル前後の範囲を3日間かけて調査した。この範囲は30年前に一度、潜水調査が行われており、当時は人工的な構造物の跡が確認されたという。

 しかし、それがどの年代に作られたものかまでは検証が進んでおらず、今回、改めて海底を丹念に探索し、沈んでいた石材と思われる石4点を陸揚げした。今後は平川館長や徳増代表を交えて館内で報告会を開き、大学などの専門機関で炭素による年代測定や細かい調査を行う。

 サン・ファン館は「使節船の出帆地は諸説あり、今回の調査はあくまで情報収集。雄勝説も含め、本当の出帆地はどこなのかを検証していく」とした。同館は研究会から提供され、雄勝地区で見つかった製鉄で出た不純物も分析し、造船との関連を調べていくという。【渡邊裕紀】





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