「三陸道全線開通」 ①現状 念願の専用道 便利になったが…
県下第二の人口を有しながら、陸の孤島と呼ばれた石巻市。自動車専用の高速道は地域の念願だった。三陸縦貫自動車道は東日本大震災後、復興道路の「三陸沿岸道路」として整備が進み、昨年12月18日に仙台―八戸間の359キロが全線開通した。全線の総事業費は1兆6千億円。東北沿岸部を行き来しやすくなったが、地域振興に役立てなくては本当の意味で復興道路になりえない。
三陸道の前身は昭和54年に事業化された仙台松島道路で、57年に松島大郷―松島北インターチェンジ(IC)の約3キロが開通。62年に仙台―岩手県宮古間220キロを結ぶ計画となった。このころは石巻市魚市場の水揚げも好調。高速交通時代に対応した仙台さらには首都圏との交通網が求められ、「21世紀に向けた産業・観光の大動脈」と期待が高まった。
そして、平成10年には鳴瀬奥松島―石巻河南IC間が開通。これにより仙台市と石巻市が高速道で連結された。長きにわたる念願の成就に、石巻日日新聞は当時の特集記事で「〝陸の孤島〟から脱出だ!!」と見出しを打っていた。それまで石巻市から仙台市中心部まで2時間近くかかっていたのが、約1時間で行けるようになった。
震災では三陸道の被害が少なく、被災地に救援の人や物資を運ぶ命の道になり、実際にのり面を駆け上がって津波を逃れた人もいた。復興道路として整備が急がれ、23年11月、国の第三次補正予算が成立。三陸縦貫と北の三陸北縦貫道路、八戸・久慈自動車道が「三陸沿岸道路」としてつながれることになった。
全長359キロのうち、それまでは仙台港北―登米東和IC間など129キロの開通。当初は10年での全線開通を目指していた。難所工事もあって昨年12月にずれ込んだが、事業化から開通まで約18年とされていたため、倍近いスピードで工事が進んだ。
27年には常磐道も全線開通。三陸道から仙台東部道路、常磐道を経て、首都圏まで沿岸部の自動車道が一本につながっている。同じ年、三陸道石巻河南―河北間の石巻赤十字病院近くに石巻女川ICが開通。救急搬送の時間が短縮され、産業団地の石巻トゥモロービジネスタウンや女川町方面も行きやすくなった。
また、復興支援道路として、縦軸の三陸道と東北道を横につなぐ宮古盛岡横断道路、東北横断自動車道釜石秋田線、みやぎ県北高速幹線道路なども整備。東北に高速道路ネットワークが出来上がった。
仙台―石巻間が三陸道で結ばれてから約24年。便利になったが、その間にも人口減少は進み、期待通りに石巻地方が活性化したとは言い切れないのが現状だ。
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