移住の決め手は〝石巻こけし〟 人の温かさに感謝の日々 写真家 山田真優美さん
震災後の平成29年に東京都から石巻市に移住した写真家の山田真優美さん(42)。関東圏で写真家として活動する中、震災がきっかけで誕生した「石巻こけし」に魅了されたことが始まり。今は地域に溶け込み、さまざまな活動に参加。「石巻に来て4年が経過し、多くの人に受け入れてもらい助けられている」と話す。震災当時の状況は実際に目で見てはいないが、被害の大きさを胸に刻んできた。
山田さんは震災当時、都内の通信社に勤務。ビル6階で経験したことのないような激しい揺れに襲われた。職場のテレビからは津波に車が飲まれていく様子や火災の映像が飛び込んできた。その後、通信社に被災地で撮影された数多くの写真が届き、その整理をしていた山田さんはとても複雑な気持ちになったという。石巻市で撮影された写真も多かった。
「東京では震災という言葉がほとんど聞かれなくなってきた」という平成29年の夏、山田さんが目黒区で見た一つの展示会が石巻を訪ねる契機となった。
そこに展示されていた「石巻こけし」の奇抜さに心を奪われ、石巻への移住を考える中、周囲から「なぜ石巻なの?」と言われ、親も反対。「東京での仕事は充実し、人のつながりも良かったが、それ以上に大きな期待が胸にあったからこそ石巻に来た」と押し切った。
石巻こけしを制作する同市立町の「ツリーツリー石巻」が山田さんを雇用し、震災から6年が過ぎた石巻で生活が始まった。
当時の印象は「テレビでみた惨状より復旧しているが、まだまだ復興の途中である印象が大きかった」と山田さん。中瀬や旧北上川付近では大型クレーンが稼働し、土砂を積んだダンプが往来するなど毎日工事が進んでいた。写真家として石巻のさまざまな風景を切り撮ることもライフワークとなった。
「あらゆるところに防潮堤が整備され、直接海が見えない景色に最初は慣れませんでした」。地域の人から「昔は、ここから海も見えていたんだよ」という話も聞き、切なさがこみあげてきた。多くの人に震災時のことを聞くたび、土地柄への愛着が高まり、いつしか住民との距離感も近くなっていた。
それでも「震災を知らない私がここにいてもいいのか」と葛藤もあった。だが、昨年3月に旧観慶丸商店で開かれた写真家の個展を見に行ったとき、そこにいた夫婦との立ち話で、葛藤している理由を話すと「今ここで暮らしてくれていることがありがたい」と励まされた。
山田さんは「多くの人に受け入れられ、たくさん温かい言葉もかけてもらっている。移住するきっかけはさまざまだが、ここに魅力を感じて住む人が増えてくれることを願いたい」と話す。すっかり石巻に溶け込み、昨年11月には都内からUターンしてきた矢口龍汰さん(39)と結婚。ここに根を張り、生きていく。【渡邊裕紀】