「怒っている自分が嫌いだ」~WEBラジオくるみの日々酒、第六夜~
皆様こんばんは、KURUMIです。
毎月第2、第4金曜日の夜21:00にyoutubeと、ここnoteにて同時更新中
WEBラジオ「くるみの日々酒」今夜で6回目の更新です。
お酒を飲みながら日々感じたことをぼやきつつ
毎回1曲、私の今聞いてほしい曲を選曲して
その曲の何が好きなのかを熱く愛情込めて語ったりしています。
今夜はSystem Of A Downの4thアルバム、Mezmerize(メズマライズ)からB.Y.O.B.をセレクト。
この曲について熱を込めて語っている部分は、YouTube「くるみの日々酒radio」後半のコーナー「この曲を聴いてくれ」で聞けるので、音楽好きの同志は再生してくれると嬉しいです。
前回は、私がピックでベースを弾く理由について語るついでに、私の音楽的コンプレックスや今までの葛藤が駄々洩れする、もはや何かしらの懺悔に近い文章を長文で綴ってしまいました。これもお酒のパワーかしら。
飲みながら書くと余計なことも書きがちですよね。
⇒「私がピックでベースを弾く理由」~WEBラジオくるみの日々酒、第五夜~
さて、今宵も飲みながら文章を綴っていこうと思います。
ジョニーウォーカーレッドラベルを炭酸で割って
いつも冷凍庫にストックしている冷凍レモンをぶちこみます。
炭酸がしっかり冷えているので氷は無しでいいや。
準備は万端です。
今夜の相棒は君に決めた。
「怒りんぼの私は、いつも怒ることが苦しかった。」
私、自分で言うのもあれなんですが周りから「貴方は怒りっぽいね」と言われることがほとんどありません。
それは当然です。
私自身がそうみられるようにしているからです。
本来私はおそらくとても怒りっぽく、頑固で、融通が利かないタイプな気がします。
母からずっと聞かされてきた幼少期の私のあばれっぷりときたら、もはや伝説レベル。数々の武勇伝を残しています。
ぶっちゃけ人間の本質はそう変わるものではない。
と、私は思うので
幼少期に暴れん坊だった私は、今も中身は暴れん坊キッズのままなのです。
きっと。
しかし思春期にさしかかり、怒りんぼで自信満々だった栄光の小学生時代は終わりを迎え、そこから長い陰キャ人生が幕をあけます。
思春期の私は「誰かに嫌われるのが怖い」という感情に唐突に支配されます。
本当は怒りんぼなのに、不特定多数の「誰か」に嫌われるのが怖くて、外に出たらずっといろんな感情をおさえて生活するうちに、だんだんと「人と話すこと」自体がうまくできなくなって、どうやって他人と関係性を築いていけばいいのかわからなくなって、どんな言葉も行動も不正解な気がして、ただ口をつぐみ、うつむくことしかできなくなった。
そのフラストレーションは家で爆発。
当時の私は家族に向かって日々キレちらかしていました。
思い返すとこれが私の反抗期だったのでしょう。笑
親も妹も全てが気に入らなかった。
自分が不幸の中心にいる気がした。
それと同時に、
怒るたびにどんどん心がすり減っていくような感覚に
おびえていた気もする。
そうやって毎日怒っているうちにだんだん
「怒る自分」自体に耐えられなくなってきました。
怒るってものすごくパワーが必要だし、
自分の中のエネルギーをおそろしく消費する。
そして怒ったあとに襲ってくる自己嫌悪。
なぜあんなこと言ってしまったのだろう、
なぜあんな態度をとってしまったのだろう、
自分のことがものすごく醜い生き物に思えて仕方なかった。
時には怒ることって絶対に必要だし、
怒らないことが正義では絶対にない。
ただ私の場合は、怒ることで自分自身をめちゃくちゃに傷つけている感覚があってひどくしんどかったし、感情の渦に溺れてしまうというか、怒ると頭に血がのぼってわけがわからなくなってしまうことも多くて、どうやら性格的に怒ることが向いてないのだろうとぼんやり自覚しました。
当時つけていた日記の内容、数年後に見直したらまじでやばいことしか書いてなかったから、よっぽど心のコントロールが下手くそだったのだろうと思われます。(めっちゃ神様にすがってて、世の中に絶望してて怖かった。)
「怒らない私はどこにいるのだろう」
怒りんぼというより、私はそもそも感受性がちょっと強めなのかしら。
と、高校生になるくらいでやっと自覚できるようになってきました。
感受性が強い、つまり自分の感情に自分自身が振り回されることが多い。
特にそれが強い力をもった感情だとなおさらぶん回される。
「怒り」とか「悲しみ」とか「恐怖」とか
きっと思春期だとそういう感情のパワーって増長しますしね。
高校生になってほんのり思春期を抜けだし、やっと友達と呼べる存在が少しできるようになり(中学生の時は転校続きだったのも手伝って3年間まじで友達ゼロでした)落ち着いてきた私は考えます。
なんとかこの強い感受性を飼いならせないものか。
特に1番やっかいなのは「怒り」
いつもこいつにのまれてしまう。
せっかくできた友達を「怒り」の感情にのまれて傷つけたくなかったし
何よりとにかく嫌われたくなかった。他人に嫌われるのがとにかく怖い時期でした。あとそろそろ家族にキレちらかすのもやめたかった。
そこで私は徹底的に「怒り」の原因を探ります。
なぜ怒るのか。
その時によって当然理由は様々ですが、結局ひとつの結論にたどり着きます。
私、図星なことを言われた時が一番怒りたくなる。
図星、つまり弱点。
多分皆、自分の弱点は自分が一番よくわかっている。
弱点は当然「弱い部分」だから、そこを土足で踏み荒らされたら即座に排除しようとする。
その排除しようとする過程で「怒り」が発生することが
私の場合は多いなと気づきました。
(言われのないただの悪口とか、自分の大切な人が傷つけられたとか、そういう一方的な理不尽に対する怒りはとりあえず今回はよけておきます。)
つまり怒りたくない私は「弱点」をなくせば怒らずにすむのでは?
と、最初は考えましたが、いやぁ、そんなの無理な話ですよ。
弱点はそう簡単に消えてなくなるものではない。
だからこその弱点なのだ。
多分、別に克服しなくていい。
・まず最初に弱点を知ること
・そこからその弱いところを無視せず向き合うこと
・そして受け入れ認めること
ここまでたどり着けたときに、過去に言われてあれほど傷ついたはずの言葉が、今の私に何の影響も及ぼさなくなっていることに気づいて嬉しくなった。
つまり「怒らない私」とは「自分の弱点を知って、向き合い、受け入れた私」に等しいのだ。
まあこれは、あくまでも私の場合と思って読んでほしい。
「弱点を認めて受け入れるの鬼しんどい」
そもそも自分の弱点ってやっぱ弱点だから、普段は自分自身からも隠されていることが多い。しかも弱点って見えてたらしんどいものだから、隠すことによって自分をある意味で守っている。
でも基本張りぼてでふんわり隠されているだけで、隠し方が甘いので、第三者からの何気ない一言であっという間に引きずり出されて心がぐらぐら揺れ、さらに踏み込まれると弱点を守るため必死に怒って拒絶して遠ざける。
まずは「自分の弱点ってどこだろう」って探すよりも、心がざわついた時、何かを言われてめちゃくちゃしんどくなった時、その「ぐらついた瞬間」を見逃さないようにする。
あ、まって、今とても嫌な気持ちで最悪、このぐらつきはなんだろう。
何が原因だろう。
いつもしんどくなったらサクっと気分転換したり、現実逃避したり、様々な回避策をとると思う。私はそうしていた。
でもそれをやめて徹底的にぐらつきの原因を考える。
その根底に、本当はうらやましかったとか
本当はできない自分が情けなく悔しいとか
できない自分を認めたくないから誰かや何かのせいにしているとか
表ではそつのないフリをして心底ひがんでるとか
私の場合は圧倒的に劣等感や嫉妬や承認欲求からの責任転嫁が多くて、恥ずかしくて情けなくて向き合うたびに死にたくなった。
自分がこんな感情をもっているなんて絶対に認めたくないようなものばかり。大概ものすごく恥ずかしくて知られたくないものがそこに詰まってる。ドロドロの感情。
まあ弱点なんだから知られたくないの当然か。
とりあえずそのドロドロを直視するだけでもうめっちゃしんどい。
からの、そのヘドロを自分の所有物だと認めること。
これがもう例えようもなく嫌で拒否したくなる。
こんなきったねぇもの、私のものなわけないでしょう!
って叫びたくなる。
いや本当に。
うわあ、、いやだけど、でも、私の中から出てきたもんなのかお前…そうなのか…まじか…ちょっと話し合う?もう少しきれいにならない?それ…
っていうところまでもってこれればもう勝ち。
ヘドロとの話し合いに入った時点でしんどい時間は終わりを告げる。
何度も何度も、地雷を踏まれるたびに荒れ狂っていた感情は
ドロドロを認めた後だと不思議なくらい穏やかで
同じように地雷を踏まれても、土足で踏み荒らされても、ぐらつかなくなる。
ああ、それね
もう知ってるし、今そのドロドロと話し合ってる最中だから大丈夫。
あくまでも私の問題で、君にはあまり関係ないことだから、気にしなくて大丈夫だよ。
って気持ちになる。心が安らか。
サイボーグじゃないし、傷つかないとは言わないけど
必死で怒って拒絶して慌てて遠ざけて、トゲトゲになるあの感じからは解放される。誰よりも何よりも自分が楽になって、私は本当に息がしやすくなった。
やっぱ怒るの嫌だったのだなと心底思った。
怒りの感情ってすごく重要だし必要だし、おそらくそれによって自分の心が本当の意味でぶっ壊れるのを防いでいるのだと思う。
ある意味、誰よりも自分のことを守ってくれているし甘やかしてくれている存在なのかも。でもそればっかりになるとすごくしんどい。
弱点を一時的に守るために沢山のエネルギーを消費するから、長くはもたないしそのうちガス欠になる。ジリ貧だ。どんどん苦しい。
ジリ貧から抜け出すためにも、いつかは自分のヘドロと向き合って、この先この汚れとどうつきあっていくかの話し合いが遅かれ早かれ必要になってくるのかもしれない。
私はしんどすぎてドロドロと話し合えるようになるまで何年もかかってしまったけど、おかげで毎年生きやすさが更新されている気がする。
今だって新たなドロドロが生まれたりするし、話し合いは尽きない。
それでももう私はやり方を知っているから、うろたえずに済むし、怒らずに済む。
穏やかな私でいることは、誰のためでもない。
穏やかな自分が好きな、自分を守るため。
何もかも私のために私がしていることだ。
これを認めるのも時間かかったな。
いつも「誰かのために何かをしている自分」が気持ちよかった。
自己犠牲が気持ちいいと感じるタイプだったけど
認めるまでに時間がかかった。
あくまでも誰かのために動く美しい自分と思っていたかった。
本心は「誰かのために動く貴方って素晴らしいね」って言われたい気持ちや
「好きな人の役に立ちたい、必要とされたい、愛されたい」って気持ちが根っこにずっとあったの。格好悪いでしょう。笑
それでも今は昔より不格好な自分を愛せると思う。
怒らずに済むから、嫌いな自分の登場回数が減って
不器用でも不格好でもかわいいじゃんってナルシストになれて生きやすい。
生きにくいと感じている人をみると願わずにはいられない。
その苦しさは全然他人事じゃないから、勝手に感情移入してしまう。
生きにくいと感じている誰かが、もっと息がしやすくなりますように。
ああまた思うがままに、アルコールにのせられて語ってしまいました。
飲みすぎには注意ですね。
次回の更新は2/12の金曜日21:00~
それでは皆様、よい夜を。
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