どうせ誰かが助けてくれる、いつか誰か手を差し伸べてくれる。 そんな甘ったるい考えなど浮かばない。 3月から友人の会社にフリーランスとして勤めているが、収入は0 営業は行っているが、お客様がつかない。 この状況下、将来に不安を覚え転職活動を行うつもりである。 私の考えもとても甘いとは思う。自身諦めず営業を行っているつもりである。 まだ努力が足りないのだろうか?やり方が間違えっているのであろうか? 日々、自問自答する日々。なぜ、前職を辞めてまで、現在の職に就いたのか
いよいよ、7月も終わる。 いよいよ、僕も決断を下す時が来た。 果たして、転職することはできるのか。 自分から見てもこんな中途半端な経歴のやつを採用してくれる会社は あるのか不安だが、行動してみなければ分からない。 動こう。 ~かもしれないなど妄想だけでは判断は分からない。 やるしかない。結果がどうであれ、自分の人生だ。
やるなら突き抜けろ。 やるしかない。 今、自分自身中途半端になっている。 こんな状況で、今の仕事を放り出して転職したところで 中途半端な自分を採用する会社は存在しない。 今後の活動資金など、その点はまた考えればいい。 こんな経歴で転職できるのか?そんなことまだ考えなくていい。 とりあえず、今、目の前にある事をやり抜く。 中途半端な姿は、他人から見ればすぐにわかるはず。 やるしかない。 人生を楽しめ。
どんな人生を歩んでいきたいのか。 今、おそらく自分の軸がブレブレである。 確実にだ。それだけはわかる。 なぜ、友人の会社に就職し、働いているのか。 そちらのほうが、今後の人生が明るくなると考えた。なぜ、明るくなるのか 成功する確証もないのに、ただただ楽しそうであったり、転職をしたいと思 っていたからだ。ただただ甘えだ。 それが現実は、収入もなければ仕事もない。 今、私という人間がこの世に存在していないように感じる時がある。 自分の価値、存在意義を感じない時が
なぜ、行動しないのか? 動かなければならないのに、なぜ行動しないのか。 誰かが助けてくれると思ってる。 いずれ誰かが、この環境を変えてくれる。 常に、他人任せで生きてきた。 誰も助けてなんてくれない。助けるメリットもなければ、義理もない。 他人なのだから。 25年甘えて生きてきたことを痛感。生かさせてもらってきたことを痛感。 なぜ、もっと早く気付かなかったのか。 自分で考えて、自分でどう生き残れるのかを考えろ。 常に考え続けろ。思考を停めた瞬間、人として終
ゴールを見失ってしまった。 25歳これからどう生きていくのか。 今、カフェに来ているが周りの人たちは、これから5年後、10年後の 人生設計は?と聞いた時パッと答えられる人はどのくらいいるのだうか。 一度、人生設計、将来設計を考えてみるとする。そうすることで、今後 どのような行動をしなければいけないのか、わかる気がする。 しかし 何が自分の中でゴールなのかわからなくなってきた。 何がしたいのか、これからどう行動していけばいいのか。 自分自身の弱点として、致命的
世の中はお金じゃない。世の中はお金だ。 小学6年生の時、同級生とこの話題で論争を起こした記憶がある。 私は、世の中はお金だ!と唱えていた。お金さえあれば何でも出来る という考えだ。なぜ、小学生ながらにお金に固執していたのかというと 母親から、この家には借金が億越えであるのよととても軽いノリで打ち明け られたことが発端である。 当時、億という途方のない金額の概念はわからなかったが、大人になるに つれて事の重大性を理解してきた。欲しいものが買えない。遊園地に行きた
怒られるかもしれない。電話営業を行っているが、この恐怖にとても怯えて いる。とても怖い。でもそれは自分の装備が整っていないだけ。 整っていないから死角からの攻撃に驚くのである。 連日続くお断りに、まるで自分が否定されているような錯覚に陥る。 まるで俺が必要とされていない感覚。 全くこのような事はないのに、どうしても脳がそう思考するようになってし まった。 しかし、変わらなければいけない。行動し続けなければ前に進めない。 何も怖くない。電話しても怒られないかもし
自分の中で期限を設けることで、心が楽になった気がする。 その期限まで、やり抜いて見せる。何か変わるかもしれない。 というか、変わらなければならない。 今まで曳かれたレールの上を走ってきただけの人生。25歳で少し 寄り道をしている段階なのかもしれない。 前に進むしかないが、ただまっすぐに進むだけではなく カーブがありながらも、前に進むことが大事。 誰も未来はわからない。明日、朝起きたら死んでるかもしれない。 毎朝鏡を見て、今日も生きてる。目の下の隈が日に日に大き
まずは自己紹介をします。 1995年生まれ、25歳、男。 高校生まで大阪に住み、大学進学とともに京都へ移住。 現在は大阪に住んでいる。 京都には、古着屋が密集していてよくバイト前や休みになれば 街へ繰り出して、古着を漁るほど好きになりました。 その影響で、服に携わる仕事をしたいと思い、大阪の繊維商社に就職。 入社後は、大手通販会社の婦人服企画を担当。 しかし、2年10ヵ月で退職。理由としては、色々あるが一番の要因としては 「会社」これに尽きる。 上司や、周