見出し画像

子どもの心配はいつまで続くのだろうか

猛暑日が続く頃、高校の同級生とランチに行った。
本音で話せる友人だ。
息子が不登校であることは、すでに打ち明けていた。
友人の息子さんは有名私立大学の3回生。昨年度、休学し、今年度も休学をしている。

「本当、お互い、心配があるね」
「これからどうするの?」
「留年が決まったからね、10月から通信制高校へ転校するかな」
「そっか、無事に転校できたらいいね」
「Tくんはどう?大学を休学して何してる?」
「聞いてよ。去年はさ、留学したいって言って、カナダに語学留学したから、まぁいいわって思ってたんだけど、今年はまだ就職したくないとか言い出してさ」
「有名私立大学なんだし、就職活動したら、就職は決まるんじゃないの?」
「なんか、本当、よく分からないわ。大学卒業する時には就職が決まっててほしいから、この1年の休学は認めたわ」
「で、今は何してる?」
「ただただ休んでる。週2、3日はバイトには行ってるけど」
お互い、心配なことをそれぞれ語り続けた。

「パパはどう言ってる?」
「就職したら、そうも簡単に休んだりできないから、今はいいんじゃないって。心配したところで、もう成人なんだし、自分の人生を考えるやろだって」
「心配じゃないのかな?」
「そう言ったら、心配し過ぎって言ったわ」
「分からんこともないけど、心配しちゃうよね」
「子どもの心配はこれから先も続くと思うわ。結局は、私たち親の問題だよね。何がどうなっても、ずっとまた違う心配してる気がするわ」
「そうかもしれんね」

子どもの心配はいつまで続くのだろうか。
心配という言葉ではなく、子どもの幸せを願っていると言い換えればいいだろうか。

「何が幸せなんだろうね」
「分からないね。こうなってほしいと思うけれど、それが子どもが思う幸せと違うことがあるからね」
「そうなんだよね。ついつい親の気持ち、口にしちゃうよね。そして、鬱陶しがられる」
「そうそう、鬱陶しがられるの分かってるのに言っちゃう」
「言わなきゃいいのにね。でも、難しいんだよね」
と、同じ言葉を口にした。