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最初で最後のPTSDの話

今年は蝉が少なくて、蝶が遅くて蜻蛉が早かった。

ある人に私の名前の画数が「凶」だという話をしたら、「全然凶って感じの人生送ってませんよね」と言われた。私、幸せそうに見えるのかな。よかった、胸を撫で下ろす。

昨夜は久しぶりに悪夢に魘された。息が出来なくなって、吐きそうになるのを必死で抑えた。クックッ、ヒューヒューと変な音を立てて泣いてしまった。夫が気づいて麦茶を渡してくれた。なんの夢を見たのかは聞いてこない。私も言わない。幸せは誰かに寄りかかることで簡単に壊される。それが恐ろしくて今まで頑張ってきたじゃないか。

私は中学生の頃に性被害を含むイジメに苦しんだ。まだ男の子と手も繋いだこともない、純粋な瞳に映るいきいきとした世界は一気に色を失った。数年間産婦人科に通った。ご飯が食べられなくなり、体重は30キロまで落ちた。生理は止まり、将来妊娠できないかもと医師に言われたが、愛する人ができることも結婚する未来も想像がつかなかった。「誰とでもヤるんだよな!ヤらせろよ」「生きてるだけでみっともない。死ねよ、飛び降りろ」と加害者たちは笑う。本当に飛び降りたほうがいいのかと、3階の校舎に駆け上がっては窓から身を乗り出し止まることを繰り返した。私の身体は、人間としての尊厳が失われるほどの、彼らの遊び道具になった。

高校生の時には私を好きだと言ってくれる男の子もいた。私に触れるだけでドキドキ緊張しているのが分かる。嫌じゃないかと聞いてくれる。すでに汚されていた私は優しさがすごくバカバカしく思えた。「本当はヤリたいだけだろ、とっととヤレよ」と、より過激に自分を傷めつける環境へと流されるようになる。何も感じなくなっていた。誰かに殺してほしかった。

私はもう大人だから、自分の苦しみは自分で処理をしなくてはいけない。もし私が何かできなくて躓いたら今の私が悪い。過去は関係ない。言い訳にはできない。迷惑をかけてはいけない。今を守りたいなら昔のことは忘れた方がいい。そう思っても、恐怖や苦痛の塊が心から消えることはない。得体の知れない塊が夢となり、無意識のうちに入り込む隙間を見つけては私の現実を脅かす。発作が完全になくなることは一生ないかもしれない。でも、遠目に私が幸せそうならいいじゃないか。夫が嬉しそうで、娘たちが健康なら、私は私の不満に押し潰される意味もない。もしも過去を自分から手繰り寄せているとしたら、今の些細な悩みを押し付ける居場所を探しているだけだろう。

誰かに抱きついて泣きたい過去。あれは蜻蛉の季節も終わって、田舎の燃えたにおいが広がる、鼻先がつんと冷たく感じる季節に起こった。そのせいか、毎年私は年の暮れを知らせる静かな空の下で気絶しそうになる。

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