『白い怒り~イノセント~』

字を見て文を見ず、文を見て紙を見ず、

紙を見て材を見ず、材を見て労を見ず。

労は時空、生命の営み、パンのための労働、

字や映像はその余暇に生じた「祈り」。


でもどうだろう、

祈るのに紙とペンがいるか?

祈るのにネット環境がいるか?

祈るのに道具がいるか?


道具に乗せられた祈りにろくなものはない

想いは相手に届くのではない

想いは各々の中で「湧出」するのだ

想いはどこでもドア、どこでもドアは永遠の想いだ


物流なんてウソだ

そもそも流れるのが物だ


乗せられてんだよ

運ばれてんだよ

いいのかよ

その道で

でも仕方ないよな

わき見運転しかできないようになっている

道は運ぶためにあるのだから、

道があれば運ばれるのだ。


国土交通省「もう好きには走らせないよ」

文部科学省「思考の範囲を策定しといたよ」

農林水産省「並びなさい。食と安全を提供します」


あらら、こんなことを言うはずじゃなかった。

おかしいな、

どうか、読まないで。

この白紙のノート



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