エッセイ9「流行りと流行れない私」
私、実は結構テレビを観ます。
ニュース、バラエティー、スポーツ、ドキュメンタリー、アニメ、最近は観れていませんがドラマも結構観ていた時期がありました。
しかし、最近では周りの人と話していてもテレビの話題ができることが少なくなっています。
前までは観ているテレビの内容にジェネレーションギャップが生じていたのに、現在ではテレビを観ていることがすでにジェネレーションギャップであると痛感します。
家庭にテレビがないことはほとんどないとは思いますが、テレビで視聴するのは民放ではなく配信サイトであったりサブスクリプションです。人によってはゲームのモニターとして使っているなんてこともあるそうです。
リモコンにYouTubeボタンがついたときには本当にたまげました。
テレビを観ない人からすると11ボタンだけやけに綺麗だとかそういうリモコンあるあるも通じなくなってしまうのでしょうね。
しかし今の現状を考えると1から12ボタンのサイズがどんどん小さくなり、様々なサブスクボタンが増えていくのでしょうか。
もしくは現在のスマートフォンのようにボタンが増えるごとにリモコンがどんどん巨大になっていくのでしょうか。
そして最終的にはリモコンで電話ができるようになったり、カメラがつくのでしょうか。
いや、それはもうスマホですね。
リモコン機能を持ったスマホを駆使してチャンネル争いをしている家族の画を想像したらすごくシュールで笑ってしまいます。
私の年齢になると、一人暮らしをしている人が多くなりましたが、そもそもテレビがないなんてこともよく聞きます。
私がそれを肌で感じたのはCMについての話が一切できなくなった時期からです。
あのCMに出ている俳優さん、女優さん。
あのCMで使われてる楽曲。
この手の話題が一切通じないのです。
私としてはCMが通じないなんてことがこんな数年で当たり前になるとは思いませんでした。
そして彼らはYouTube広告に対しては非常に詳しい知識を有しており、私は全く話に参加できません。
なぜなら私は生意気にもプレミアム会員だから。
というわけで私と私以外ではどんどんと溝のようなものが大きくなっていると感じます。
ですがこれはジェネレーションギャップではないような気がします。
世代は別に変わらないわけですから。
ここまでくると文化の違いになるのでしょうか。
興味関心のあるもののみを視聴する文化が形成されつつある中で共通の話題は生まれるのでしょうか。
視聴コンテンツが細分化されていく中で共通の話題は廃れていくのでしょうか。
そう思っていた私は最近ある発見をしました。
それは友人宅に行ったときの話です。
その日は高校の友人の家で仲良し3人組でステーキパーティーをすることになっていました。
友人のうちの1人がスーパーの精肉で働いているのですが、店舗移動によってどうやら最近肉を切らせてもらえないようでそのことに非常に悩んでいました。
肉が切りたい。
彼はそんな欲求を抱えていました。
一方私は恐怖心を抱えました。
言動が海外の殺人犯だったからです。
私の頭の中で友人がピエロの化粧をしてエプロンをつけて肉切り包丁を持っている映像が浮かびました。
彼を犯罪者にしないよう私の提案で急遽ステーキパーティーが開かれることになったのです。
私は友人宅に着くと料理の時間に暇を持て余し、座って待っていました。
彼の肉を切る時間を邪魔したくなかったので。
私には彼の肉への情熱と同じくらいの謎の癖があります。それは必ずその人の家の本棚を観察するというものです。
こんな本読むんだなとかここで読むのやめたんだなとかそういったことを考えるのが好きなんです。
私はその隙間時間で、友人の本棚を肴に酒を飲んでいました。
そしてふと私は思いました。
この本棚どっかで見たことあるぞ、と。
私は酔いが回る中で懸命に記憶を呼び起こしました。
そして2つの本棚を思い出しました。
1つは大学の友人の本棚。
2人には全く接点はありません。しかしラインナップがどうも同じです。
もう1つは私の通う本屋の人気作品を並べたコーナーでした。
流行っている漫画、話題の漫画、映像化した漫画などを主に並べている本棚です。
この3つの形も大きさも異なる本棚の中身が同じことに疑問を持ちました。
私は友人に問いかけました。
「この漫画好きなんだね」
「あぁ、面白いよ。すごい人気だし」
友人は当然のように答えました。
私としては人気の作品=自分の好きな作品という思考回路を持ち合わせていなかったので、そこでも大きな溝を感じました。
しかしその日はそんなことを考えている暇もなく、その後目の前に出された皿いっぱいのステーキを平らげることに必死だったため、また明日考えようと思い思考を投げました。
そしてその次の日も胃がもたれてそれどころではなかったので再び思考を投げました。
私が改めてそのことを考えるようになったのはまた別のコミュニティで会話をしていたときです。
1人の友人が会話の中であるドラマのセリフを引用して話しました。
そのドラマとはNetflixで配信されているドラマでかなり話題になっている作品でした。
私は全くわからなかったのですが、私以外の友人は全員が笑っていました。
つまり私以外の人間がしっかりとそのネタを共有したということになります。
私はそのとき頭の中で本棚を思い浮かべました。
私の本棚と私以外の本棚が複数並んでいる中で、私以外の友人の本のラインナップは同じでした。
そして先日の友人の言葉がリフレインしました。
「すごい人気だし」
私の推論はまるで見当違いだということに気づきました。
細分化されているから流行りものが廃れるのではなく、ものが多く飽和するからこそ人気や流行を判断材料としているのだと。
今ではSNSですぐに話題のものはわかりますし、サブスクリプションではより多く見られているものがランキングとして可視化されています。
これらを元に視聴しているのならば確かに触れているものが同じになるのは頷けます。
尚且つ配信にはザッピング文化がありません。
チャンネルを回しながら自分に合ったものを選ぶのではなく、あらかじめチューニングが合った上で観るのですから。
漫画についても同じです。
何を買おうかと本屋をフラフラと徘徊し、興味が湧いたものをジャケット買いするのではなくあらかじめ決まっているものへ一直線です。
なんなら話題のものは同じ棚に並べられ、親切に交通整理までされています。
そういった文化が形成されているのであれば、細分化ではなく統合されていくのが自然です。
あくまでも私が身の回りから判断したことであり、まだまだこの意見は穴だらけだと思います。
また、昔からそうだよと言われればぐうの音も出ません。
そもそも私自身が昔から流行りものに一切の興味がなくここまできている人間ですから。
とうの昔に共通の話題というものからは脱落しています。
私の本棚はガチャガチャしていてとても人様に見せられるものではありませんし……。
しかし、だからこそ。そんな私だからこそ周りの人たちと共通のものを見つけられると嬉しいと思います。
そして私の知らないものをたくさん教えてくれる人や私のオススメを観て共有してくれようとする人には柄にもなくときめいてしまいます。
あまりいい趣味とは言えないかもしれませんが、これからも私は本棚観察を日課としてあーでもないこーでもないとくだらないことを考えたいと思います。
ぜひ一度私に本棚を見せてください。
電子書籍も可です。
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