中山道で巡ったところ~主に島崎藤村関連のとこ①~
中山道旅歩きの道中に立ち寄ったところ、主に島崎藤村関連の句碑や場所多めになりますが、まとめたいと思い…。
そしてあまりにもよかったので、ぜひ島崎藤村先生好きな方の目に留まったら嬉しいなとも、そうじゃない方は是非!!知るきっかけになってくれたらいいな♡と思って書きます。
清水屋資料館
島崎藤村先生の作品『嵐』をご存じですか?
おおまかなあらすじが、子どもたちの成長過程を父親目線から描いている話。
個人的な感想をも入れると、本当に子供の成長をここまで繊細に丁寧に描かれていることある?えっ、しかもこれ母親じゃなくて父親…。こんなお父さんいる?私こんなお父さんに見守られ生きたかった…。ただ見守るだけじゃない、この子が社会で生きてくためにはどこで支え、どこで自立させていくべきかをこんなにも考えてくれている…スキイ…となる話です。
個人的に大大大大好きな作品でして、もしよろしければ読んでください(白目)
話が飛びましたが、その『嵐』の作中にでてくる森さんのモデルになったかたの家です。
島崎家とも深かったため、藤村先生の写真や、どんな手紙を送っていたの?と分かりやすく訳された書簡、そして『夜明け前』を執筆したとされている部屋の復元が2階にあります。他にも、馬籠宿の当時の生活も垣間見られる展示。
何より、ここの方がとても明るくいろいろとお話してくださるかたで、是非馬籠宿に来た際には立ち寄ってみてほしい場所です。
馬籠宿バス停より、そんなに遠くない、少し歩けばつく場所なのもポイント!
島崎家のお墓
藤村先生は馬籠宿ではなく、神奈川県大磯のほうで亡くなられたのですが、ここ永昌寺が島崎家の代々の菩提寺のようで、分骨としてここに埋葬されているのだそう。さらに近くには『夜明け前』の青山半蔵のモデルとしての、藤村先生の父親のお墓もあります。
中山道の道から少し逸れます。
妻籠郵便局(郵便資料館)
現在も普通に郵便局なのですが、その中に資料館は併設されており、郵便制度が始まった当初からどのような歩みをしてきたかの資料が保管されております。
そのなかに、ここ妻籠の郵便局の初代局長が藤村先生の大伯父だという展示が!そして『夜明け前』にもモデルとして描かれています。
そして、島崎家に関する書簡がここにもあり、島崎家がいかに強くつながりがあったかが分かります。
随所シミも見られ、大切にここまで保管されてたんだな…と。嘆願書なんか、これに生活をよくしてほしいって思いで切に書いているのが、字から伝わってきて…。これを無料で見せていただけるので、嬉しい限りです。
南木曽町博物館
脇本陣奥谷(国の重要文化財に指定されています)と歴史資料館からなる施設です。
この脇本陣は、おゆふさんの嫁ぎ先ということで、ここも藤村先生関連のものがあります。
※看板にもありますが、係員さんによるほんっとに懇切丁寧な説明や解説があるので助かります。
ここにあるのが、藤村先生が亡くなられる数カ月前に届いたとされる、『若菜集』より、うてや鼓~の直筆の書。最後にはここの林家へ送ったとわかる「林君」という文字も見られました。
またここのもう一つの見どころが、入ってすぐの囲炉裏。
ここはもう窓から差し込む光、囲炉裏の火が合わさる空間に思わず息を呑むほど。太陽の差し込む角度の加減もあり、見頃はあります。特にきれいなのが冬至あたりの昼間みたいです。
(※夏は太陽が高いので光は差さないらしい)
私が行ったときは、ぎりぎり太陽が入ってきて、それでも十分綺麗でした
ここは、妻籠宿として栄えていた当時のことも分かる資料館もあったのですが、そちらが帰るバスの時間の都合で泣く泣く諦めて…
こちらはリベンジかなあと思っています。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
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