徒然 天使たちの昇天
Vガンダムの配信がついに終わろうとしている。この作品の詳細はまぁ適当に検索すれば出てくるので割愛する。
さてこの作品のラストもラスト。ヒロインのシャクティがどうして、敵であったカテジナを見送って泣いたのか。それは未だに答えを見ない問いである。富野由悠季のことだから、とてつもない理由がある気もするし、何もないかもしれない。というか、Vガンダムは監督自身が苦言を呈するような作品だから、あまり思い出したくないのかもしれない。しかしこの文章はその謎に迫り、Vガンダムについて語るものだ。なぜって、俺はVガンダムが好きだから。シンプルイズベストはいつだって世界の常識である。
今回の文章はあくまで、ヒロインのシャクティの話だ。彼女がなぜ、カテジナに救いの手を差し伸べなかったのか。彼女は、見ず知らずの人を救うためならばどんなことでもする、ある種の狂気のヒロインだったのに、傷ついて盲目となり、もしかしたら記憶を失い、故郷も失ったカテジナをなぜ、助けなかったのか。
俺は、シャクティの女の一面がそうさせた、と思う。
カテジナは主人公であり、シャクティのパートナーのウッソの初恋の相手だ。ぶっちゃけストーカーとしか言えない行動を取り、仲間は幾人も殺され、自身も何度も傷つけられたのに、それでも許そうとしたくらいだ。
ウッソはきっと、カテジナは最後の戦いで死んだ、と思っている。だからこそ、故郷のカサレリアで平穏に暮らしておそらく、シャクティと添い遂げる道を選んだ。Vガンダム以降の宇宙世紀がどうなったのかは、公式には宇宙戦国時代になり、かなりの混迷の時代になったようだ。その実態は不明だが、長谷川裕一のクロスボーンガンダムダストが参考になるので、気になる人は読んで欲しい。しかし、今回は関係ない。
ともあれ、そのわずかな平穏の中に、カテジナは現れた。ウッソが彼女の生存を知れば、また救おうとするだろう。男にとって、初恋の相手はそれ以外のすべてを捨ててでも幸せになって欲しい存在であり、優しい少年であるウッソは今の平穏を投げ捨てるかもしれない。シャクティはそれを恐れた。彼女の願いが、ウッソと平和な日々を過ごすことというのは、劇中で散々、語られている。
シャクティは聖母であり、狂人であるが、最後の最後で女になった。
自身の願いと平和のために、カテジナを見捨てたのである。
その浅ましさと、おぞましさゆえに、シャクティは泣いた。自分でそれがどれだけ忌避すべきことであることを知っていながら、しかし、その道を選ばないではいられなかった自身の女の部分を、彼女は誰よりもわかっていたのだ。
それは、悪だろうか。
シャクティはウッソと同じく、子供である。十五歳にもなっていない。その年齢で、せっかく叶った自分の願いを自ら投げ捨てるような行為ができるはずがなく、それを悪だと断じれば、子供が子供であることを否定するのと同じだ。年端のいかない子供に、そんな大人でもできないことを求めるのは酷と通り越して、死ねと言っているのも同義だ。
だからシャクティは泣かなくてもよかった。ただ、見捨てたという事実を受け入れればよかった。
しかし、彼女は泣いたし、カテジナもまた泣いた。
二人とも、女であった。
だから、互いの互いの打算を理解したのだろう。カテジナはウッソならば、それでも自分を救ってくれると信じた。しかし、シャクティという女の前に、負けたことを認めて、泣いたのだろう。自らの幸福と平穏のためにどこまで計算して、どこまで自分を捨てて、そして自分を優先するか。その葛藤の末に、二人は泣いたのだと、俺は思う。
そういった意味では、Vガンダムは人の業の話である。
ウッソは男の初恋を捨てきれないという業に。
シャクティとカテジナは、礼節を捨ててでも自分の男を他人に渡すまい、とする女の業に。
勝てなかったのだ。
結局、ウッソもシャクティもカテジナも、そしてvガンダムの登場人物のすべてが人の業に負けて、最後は小さくまとまってしまった。間違いなく、この物語は悲劇だ。誰も新人類――NTになんかなれない、と言い切ってしまったような結果だけが残った。
富野由悠季はその後、まったく反対の希望に満ちた作品を創造することになる。いわゆる、白富野の時代が来る。しかし、このVガンダムはまだ彼が絶望の中にいた頃に作られた。だから、誰も救われないし、未来は明るいものではない、と示唆された。
今この時代にVガンダムを見た人は、どう思うだろう。そこにある絶望に気づかずに、純粋に楽しむのだろうか。そうであって欲しい。
絶望の中で作られた作品にこめられた絶望に影響されるなんて悲しいことはない方がいい。
俺はVガンダムがガンダムシリーズの中でも一、二を争うくらいに好きだが、監督のように否定するべきだと思う。
後世に希望ではなく絶望を――人の業を証明する作品なんて、悲しすぎるから……。
余談だが、小説版のVガンダムではカテジナは明確に死亡している。その死に様は、ある意味ではとてつもなく美しいので、機会があれば読んで頂きたい。カテジナは最後にまさに、幸福を得て死んだのだ。あるいは、幸福を得たからこそ死んだ。その美しい悲劇を、読んで欲しいと願う俺もまた、人の業に縛られたオールドな人間だ……
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