暮らす場所の選択はわたしを知ることに繋がる
緑色に美しく光る鼓門を眺めたのは、天使にラブソングがちょうど中盤に差し掛かったぐらいの時間だった。
楽しみにしていた映画の放送時間に合わせて松屋のキムカル丼を注文し、ウキウキでテレビを観ている予定だった私はそこにはいない。
映画が始まる数時間前、金沢テレビで放送されていたのは、実家のある大阪が”明日緊急事態宣言を解除する旨を示した”とのニュースだった。
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「いつでも実家に戻れる状態」を作ってはいたものの、どのタイミングで実家に戻るかを考えていた私にとって「解除宣言」は戻るキッカケになった。
翌日の始発で帰ればそこまで多くの人と接触する機会も避けられるだろう…それを逃すときっと人が増える。だから「明日の朝を選ぼう」そんな理由で朝イチの特急券を買いに行ったのが、映画を見ている最中だった。
「どうせ特急券なんて売り切れないから明日の朝でいいや」と思っていたものの、いざ実家に一旦帰るのではなく”戻ること”を考えると、テレビ画面に映るウーピー・ゴールドバーグのセリフが全く頭に入ってこなかった。このままただ画面を見つめてボーッとしている時間はすごくもったいなかったので思い切って外に出てみると、ほのかに冷たい風が熱くなった体をを冷やしてくれるようだった。
人気の少ない西口の駐輪場スペースに自転車を止めて、特急券を買うまでの時間はほんのわずかな時間だ。そのまま直帰することもできたけど『せっかくだから』と鼓門のある東口に出た。
こんなに綺麗なのに。全然人がいないんだな…。
そんなことを感じながら鼓門全体が見渡せる場所まで進んだ。
すこし前まではここで写真を撮っている人がたくさんいて、
『撮ってもらえますか?』と頼まれることもあったなあ。なんてことを考えて、せっかくだから…と1枚撮ったのがこの写真。
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当初は「長く住む」予定だった金沢での暮らしは、引っ越し1週間前に業務委託先から突然クビを告げられたことによって大きく変わった。
デスクトップパソコンを置くために借りた広めの部屋も、仕事がなければ持て余すだけのサイズで、正直「引っ越す意味なんて何もないんじゃないか」と思いさえした。
それでも、母が言ってくれた「引っ越すためにこれまで頑張ってきたんだから、とりあえずちょっとでも住んでみたら?」という気軽な提案が、意外と自分の背中を押してくれた。
そうやって思い切って引っ越しをした2019年の11月中旬から12月上旬は、ただ苦しいだけの毎日で、前を向くことができない日が多かった。
そんな時に偶然受けたアルバイト先の面接で事情を聞いてくれた人と話せたおかげで「そうだ…ここで暮らしたいからずっと頑張ってきたんだ」と客観視できるようになり、帰り道にビビッときた眼鏡屋さんにアルバイトの問い合わせをして、偶然見つけた可愛いケーキ屋さんでケーキを買って、帰宅をしスマトラの苦いコーヒーと一緒に味わいながら、クラウドソーシングサイトで「何かできることがあればなんでもしよう」と案件探しをしたあの日は、久しぶりに前向きな選択ができた日になった。
それからアッという間に時は経ち、年は明け2020年を迎えた。
”慣れ”と好きな街で生活をすることの楽しさを感じられたのが2020年の年明けぐらいだった。気持ちにはまだ波があったけど、日本海側のどんよりとした空気感と”痛い”ぐらいのピーンと張りつめた風が心地よくて…暖冬と言われるなかでもチラつく雪に感動したり、風が強すぎてビニール傘がすぐに壊れちゃうからちょっと高めの傘を買ってみるなど…金沢での生活を楽しめるようにもなっていた。
家から歩いて行ける範囲の場所にはホッと落ち着けるカフェがたくさんあって。
この街だからこそ出会えた人と一緒にのんびり話を楽しむこともできた。
同じアルバイト先で働く人と一緒に仕事終わりに美味しいワインを飲みに行った日はすごく寒かったけど、「ずっとしたかった暮らし」を手に入れることができたかも…ってうれしくなった。
自宅から歩いて10分もすれば、市内の大通りに出ることができて、
この標識を見るたびに「ふふん♪」とうれしくなるのは、住みたかった場所で暮らせている証ともいえるから。
自宅から歩いて行ける距離にある美術館。
初めて夜の時間帯に歩いたとき「ここは大阪でいうミナミみたいだな」と思った片町エリア
信号を一つ戻れば大人な香林坊。
この信号を渡って犀川大橋を渡り切ればグッと落ち着く広小路になる。
いつも曇っていて、雨が降っている。そんな金沢が大好きになった。
晴れるたびに無駄なやる気がめきめきと湧いてくる私にとってこの街は、
いつでも適度なセーブをかけてくれる街。
「頑張らなくていい」と声をかけてくれる街。
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そんな場所での暮らしはいつでも穏やかで、心が落ち着かないときも「暮らしている環境」のおかげで生きやすくなるんだと気づかされた。
ある時、気持ちがどん底まで沈んで大阪の実家に帰ったことがあった、正直金沢に戻ることがすごく嫌で、そのまま実家に居続けようかと思うほどだった。2019年に仕事を失ったことへのダメージは想像以上に大きく、2020年になっても消えることはなかった。そんなときに実家でいるときに感じるのは「何もしなくて生きていける」という異様な安心感だった。
それでもなんとかサンダーバードに乗り込んで、北陸ロマンを数回聴いていると『金沢駅』に到着し、東口から自宅までの道のりをバスに揺られていると「やっぱりここは素敵だな」と感じ、すんなりと”この街での日常”に戻ることができた。
あれだけつらくて涙していた実家での時間はなんだったのかと笑っちゃうぐらい、好きな場所での生活は自分にとってはプラスになっていた。
そのときに
そう思った。
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住めば都とはよく聞くが、実家で落ち込み、戻りたくないと泣いていた私にとって金沢は「戻れば都」といえる場所だったのかもしれない。
金沢に戻ってすぐにケロッとした顔でお気に入りのコインランドリーに洗濯をしにいき、待ち時間に好きなコーヒー屋さんでコーヒーを買って、また戻って…コインランドリーに置かれている地方らしさ満載のフリーペーパーに目を通して洗濯が終わるのを待つ。
こんななんとも言えない時間はきっと好きな場所で暮らしたからできた経験だったと思う。
私はこの考え方に出会えたから、コロナ禍になってすぐに実家に戻る選択ができた。今の自分のままでは「住みたい街で手に入れたかった暮らし」が十分にできないと感じていたからだ。
正直金沢での暮らしはどこかいっぱいっぱいで、自分に余裕がなかった。
私はたまに贅沢ができる暮らしが好きで、デパートまで歩いて行けて、ちょっと高いお惣菜を買ったり、特に用もないのにコスメカウンターをぶらぶらしてみたり…。
そういう”場”が生活に密接している暮らしが近くにあっても、自分の余裕のなさが原因で生活に密接させることができないことに悲しみを覚えていた。
そんな考え方に気づけたのが2020年最大の出来事だったように思う。
これは暮らさなければ知ることができなかった気持ちだから、改めて金沢で暮らしてみてよかったと感じた。
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5月に大阪の実家に戻ってきてから約半年間で、またライターの仕事を始めることができ、新しくオンライン秘書の仕事も学び始めた。
そして、思い描く未来を表現するランウェイショーの企画・運営を担当するようになり、今はクラウドファンディングに向けて毎日せわしなく動いている。
すべてはいつか私らしい”暮らし”を手に入れるため。
その土台作りを始めることができたのが2020年だった。
好きな街に住んで、そこで暮らすことで「ありたい自分」の姿が見つかって、その姿を手に入れるためにはどんな努力をすればいいのかが明確になった。悩んで「最善を選択」することは難しかったけど、ありたい自分の姿を思い浮かべたら必ず”暮らしたい場所”や”手に入れたい暮らし”が一緒に浮かんでくる。それが私の人生なんだと思う。
これからもきっと悩むだろうけど、そのたびに手に入れたい暮らしを思い出しながら選択していきたい。
【関連note】