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立ち止まって、またスタート

昨日の夜、突然「明日は休みにしたほうが良さそうだな」と思った。

そもそも9月の末頃から「10月は東京に行く予定があるから、その日まではできるだけ仕事優先で駆け抜けたい」と思っていて、9月の末から昨日までは、ほぼノンストップで仕事と検定に向けての勉強を進めるような日々を送っていた。

先日友人と仕事終わりに飲みに行ったとき、「もし今の私の1日が何らかの形で動画で撮られていたとしたら、ワイプで見ている人たちのリアクションがきっと”頑張っている”になると思うんやけど…」といった話を聞いてもらったのだが、そうやって自分の行動を認めて言葉にしても恥ずかしくないぐらい、ここ数日は誰がどう見ても「頑張っている」という時間を過ごしていたように思う。

その時に食べたいちじくバターが美味しかった

だけど、そんな日は長く続くことはなく、昨日の夕方から周期も相まって不調の波に襲われてしまった。「このサインを無視したら、大事なところで体調を崩しそうだな」と思ったので、急遽休みを取ることにした。

「休みを取る」といっても、私にとっての休みは、一番時間がかかる仕事に取り組まないだけなので、朝から作業系の仕事をしたり、来週の私が楽をできるように業務の下準備をしたりと、正直仕事を休んではいない。

だけど、時間がかかる仕事に取りくまないだけで随分と楽だ。

1時間ぐらい作業をして、3時間ぐらだらっとして、また1時間ぐらい作業をする。積み重ねれば3時間~5時間程度の作業であっても、合間に休憩があれば前の業務の疲れを無かったことにできるのは、私の強みなのかもしれない。今しかできないことかもしれないし、5年後もできているのかもしれない。だから今はこの働き方を意識的にやっているような気がする。

逆をいえば、スタートしてから3〜4時間ぐらい集中して行う仕事は、たとえそれだけの時間で仕事が終わったとしても、ドッと疲れてしまうし、その仕事の疲れをなかったことにはできない。

だから休憩は今の私の生活においてとても大切なものだと、書きながら改めて感じている。

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そんな今日は9時頃に猫のガチャリで目が覚めた。

猫のガチャリというのは、猫が部屋の扉をガチャリとあけて侵入してくること。そのまま水をピチャピチャと飲み、私の布団のうえをドスドス歩き、ベッドの横にある小窓から、隣の家の屋根に止まる鳥を眺めるのがこの時期の日課になっている。

カーテンを引っ張るのは私の仕事

猫は賢いなと思う。

夏はそんなことしないのに、このなんとも絶妙な夏終わりの秋、そして冬前の秋という窓を開けて生活をしているときだけ、朝方になると部屋に遊びにくるのだから。

そんな猫と共に居間へ降りて、朝の準備を済ませて、すぐにパソコンを開く。最近は執筆の仕事を1日で終わらせず、少し残した状態で翌日に持ち越し、それを朝に終わらせることにハマっている。

ハマっているという書き方は変かもしれないけど、感覚的には「ハマっている」がピッタりな感じ。

というのも、昔から執筆に対して謎のこだわりが強く、書いているものを途中で終わらせることに対してムズムズ、イライラしてしまうことが多くて、「書き始めたらその日に書き終える」というのが自分のなかでのルールになっていた。

(もちろん、小説とかを書くとなれば1日で終わらせることはできないけど……)

そんな謎ルールを自分に課していた私に、あるとき、ひょんなことがキッカケで「もう今日はここで仕事を終わりにして、明日続きを書こう」と思えた日がやってきた。

翌日、昨日の続きから書き始めて、最後まで書き終えたとき「あれ。こっちの方が楽じゃない…?」みたいな気持ちを覚えてから約2週間。なんだかこの働き方が今の自分にとっては心地よくて、それこそ「ハマる」という感覚に近しいものを覚えているので、当分はこの働き方をするのだと思う。

結局、気合いをいれて3時間ぐらい集中して仕事をすると身体が疲れてしまって、どれだけ休憩してもそれを無かったことにはできないタイプの私にとって、「途中でやめて、翌日に続きを書き終える」という働き方が合っているんだろうな。

こうやって日々模索をしながら、今の自分に合っている働き方と付き合っていこうと思う。

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そんなこんなで、午前中には終わらせたかった作業を片付けられたので、お昼からは自由な時間。

ラジオを聴きながら来週の仕事の準備をしたり、録画していた「団地のふたり」を見たり、アップルパイを食べたりと、穏やかな時間を過ごしていた。

こうして今、余裕があるときにしか書けないnoteを書いているのも、私にとっては休めている証拠だと思う。

そういえば最近は友人と食事にいくたび「生活・暮らし」という言葉が自分の口からよく出ているような気がしていて、そこを深く掘る作業もしたいけど、いかんせん今は余裕がないので、また今度じっくり考えたい。


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話は変わって、サンボマスターの武道館公演が発表されたのは去年の11月の横アリ公演だったと思うと、本当にあっという間だな。

あの日は夜にアジアプロ野球チャンピオンシップの決勝戦があったので、終演後、横アリからホテルに戻るまでにマクドナルドでポテトとナゲットを買って、部屋で観戦したんだった。

なんかどっかのタイミングで異様に喜んだ記憶があるけど、多分門脇さん関連の何かだったような気がする。

あれから約1年。「まだまだ先」と思っていた武道館公演まで約2週間になった。

サンボマスターの武道館公演は2017年の12月3日ぶりなので、約7年ぶりの武道館公演になる。そして私にとっても7年ぶりの武道館。

「私はこれから、やりたいことを形にできる人生を送ろう」。1年前の2017年12月3日。日本武道館で行われていたサンボマスターのライブで、そんなことを思った。

「人生はそう、うまくいかないから生きがいがある」

今から6年ほど前に書いたのnoteにもあるように、私にとって2017年12月3日は人生の分岐点になった大切な日。だから、またあの場所を訪れることに対して、ちょっと緊張してしまう。

当時22歳だった私は、この仕事を丁度始めたばかりのタイミングで、それもフリーターでアルバイトをしながらの副業という形でやっていたから、思い付きの衝動に対して真っ先に身体を動かすことができたけど、今の私にはそれなりの責任があって、何か衝動的なものに包まれても簡単に決断できないのが現実。

それだけ年を重ねながら、きちんと”大人”になれたのだろうと思うと、安心もするけど、やっぱりどこかで寂しい気もする。

とにかく今は、当日を楽しみに頑張っていくだけだから、今日はゆっくりして、早く寝て、また明日から駆け抜けようと思う。


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響あづ妙
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