見出し画像

聴くチカラと場のチカラ-ケアと人類学考②

 介護の仕事ができる人、介護が好きな人というのは、「聴くチカラ」を持っていると言えると思います。

 世間話はもちろん、目の前の要望であったり、これまでの人生経験であったり、いろんな話を。
認知症のある人であれば話を聴いて、その人の世界を受け入れることができる人。
 いずれにせよ、聴くとは、関心を寄せること。

関心=interest=面白さ

 その人自身に常に関心を寄せながら、そして話を聴くのが面白いと思える人ほど、その人にとって、介護の仕事とは非常に面白いものになっていることでしょう。

 自分に関心を寄せてくれている、って、誰しもが嬉しいこと。
 応答としての会話(時には対話)が生まれ、気持ちのいいコミュニケーションにつながっていくはず…。
 “空気がいい場”が生まれているはず…。

 そういう場であれば、空間の質に依らず「場のチカラ」が発生していると思えるのです。
 逆に、空間の質によって発生するのも「場のチカラ」。
 空間の質が、本能、人のチカラを引き出す、として。

「場のチカラ」ってなに?

 多床室で、独特の匂いがこべりついた特別養護老人ホーム、病院みたいな味気ない老人ホーム、それらとまったく異なるホテルみたいな高級で豪華な施設、古民家そのままの宅老所、古民家を改修した施設やデイサービス、木質の良さが際立つ圧倒的な心地よさのある喫茶店あるいはカフェみたいな老人ホーム、グループリビング、デイサービスなど多種多様、全国の様々な「お年寄りが暮らす場、過ごす場」を私は訪ねてきました。

 「あ、ここは(いい)…」と思う場があります。場の佇まいから「間違いない」と感じることもあります。肌感覚の良さ、と言えるでしょうか。
心地よさとは、肌感覚(身体性のあるもの)だから偽りはありません。

 その感覚を私は「場のチカラ」と表現しているのですが、ここでの「場」は、単なる場所のことを意味するのではなく、その場で行われている人の営み、そこに存在する自然も含んでのものです。

 病院みたいな、単純な設え、会社の寮を改修しただけのようなの施設でも、温かみで満ちたケアの現場もたくさんありました。そのひとつ、千葉県にある有料老人ホームの女性施設長の言葉です。

 「認知症があっても、人間の尊厳を、尊ぶ気持ちを忘れたくないんです。うちはスタッフが辞めません。面談するとき、相手をみます。どういう介護をしたいのか1時間くらい面接します。 スタッフが仕事を楽しんでいます。『これは仕事/仕事じゃない』と線引きしません。入居者さんに対して自ら出費をしても、経費として請求しないんです。“してよ”って言っているんですよ。自慢のスタッフです。だから(施設長の)私がスタッフを支えたい。一方で、家族には『予約なんていらないから家族もいつでも来てください』と言っているんです。こちらがどんなにお世話をしても家族には勝てませんから」

―また…

茨木県にある、コンクリート造の古い特別養護老人ホームの施設長の言葉。

「“ここにきて良かった”と思ってもらいたいんです。地味だけど(入所者の言葉に)耳を傾けているスタッフがいます。(入所者は)自分を大切にしてくれていることを感じているでしょう。入院したとき『自分の場所はあそこ(施設)だ』と言ってもらえたら。戻りたいと思える場、そうが言える場がいいですよね。
利用者を真ん中に置こうって。そうすると建設的に話すことができる。そこから“今欠けているものはなに?”と話をしていく。4人部屋であっても、個別ケアを、心のケアをする。一人一人をきちんとみようって」

 この特養は、最寄り駅からタクシーでなければたどりつけない田舎のホームです。

 ですが、毎年行われるバザーには、1000人以上が足を運ぶという、地域に根付いているホーム。
 施設長は言います。

「在宅に力を入れないと地域に根ざさない。困っていることは地域にある。それをきちんと拾うこと。そうすれば行政ともケアマネともつながることができますから」


 取材を終えたあと、往路と同じタクシーの運転手の運転で駅まで戻ったのですがバザーの話を振るとこう言っていました。

 「バザーは運転手同士で仕事をさぼっていくよ 野菜も安いしね」

 ホームが地域に根付いている証拠です。

“よりよく生きる”ための知恵となる“ケア”という仕事

 なぜ、ケアと人類学というタイトルでこれまで文を進めてきたかというと、ケアの仕事は、人類学の態度、姿勢そのものだし、実践だと言うことができるのでは?と私は思うからです。
 それは、人類学者、ティム・インゴルドの言葉―“他者を真剣に受け取ることが私の言わんとする人類学の第一の原則である”を受けてです。

 インゴルドの別の言葉をあげたいと思いますと思います。

<関心>interestはラテン語のinter(あいだに)とesse(あること)から成る。
相互作用とはあいだであり、調和とはあいだのものである。
線としての生とは調和の過程である。
調和=応答(コレスポンデンス)である。
観察することは客観化することではない。人や物に注意を払うということ、それらから学ぶということ、そして指針や実践において追従すること、参与観察とは、要するに、調和の実践なのだ。―『ライフ・オブ・ラインズ 線の生態人類学』より

 ”よりよく生きる”にとても近いところに仕事があるのが「ケア」なのだろうなと思います。
 この成熟した社会で、社会がいい方向に向かうための舵のエッセンス、哲学なるものが「ケアの仕事」にはたくさん含まれているように思います。

 だから、底なしに尊い仕事…

 コロナ禍で思うように動けない今、これまで取材先で見て聞いて感じたコト、モノ、言葉を手繰り寄せ、ケアの行為に含まれる「食」「ものづくり」「アート」「身体」「建築」といったことから「よりよく生きるため」のエッセンスを抽出する試みです。私にとっては、過去の取材を振り返り咀嚼する、「出会い直し」。そこから見えてくることはきっと、灯りになる。

「人間とは、応答的存在である」

哲学的人類学者 トーマス・シュヴァルツ・ヴェンツァー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?