今年で35になる。 ついにここまできてしまった、とただ思う。 悪あがきという訳ではないけれど、何かやり残したことはないかと考えてみた。 多分たくさんあるのだろうが、実現可能なやつ。 それで達成感というか納得したいというか、若いときの思い出を美化しようという浅はかな考えだった。 ふと思いついたのがピアス。 わたしには右耳は自分で、左耳は他人にあけてもらうという変な決まりがあった。誰に言われた訳でもないのだけど、ファーストピアスをあけたときから自然とそうなった。左がうまくあけ
わたしは勉強ができない。 特に算数は絶望的である。未だに頭の中で九九の歌をうたっている。 両親に褒められた記憶ってほとんどないのだけど、ひとつだけ覚えていることがある。小学一年生だったと思う。 12-7=? みたいな問題で。どうしてわかったの?と聞かれて、 「2+3は5でしょ?」と答えた。 「すごーい!天才だー!」 母は大げさに喜んで見せた。 おそらくこれが、わたしが褒められた唯一の記憶。 大したことないし、わたしが子供だからそう言ってくれただけ。わかっているけど、
大人になりたかった。 大人のいい女になりたかった。 ビールは喉越しだ、なんていわれてぎゅうぎゅうと飲んだ。勢いをつけて飲むものだから、あっという間に酔いがまわった。 あのとき吐いたビールと浅漬けの色は、きれいな黄色であった。(衛生的にはもちろん汚いのだが。) いい女になりたかった。 お酒も嗜むいい女に。 スーパーで安物の赤ワインを一本買ってみたものの、当然飲み切れる訳もなく。仕方なくカレーを作った。隠し味なんてレベルじゃない量の赤ワインを入れて。 もともと料理は得意では
この時、わたしも同じ現場にいた。 目の前で踊り狂う塔山忠臣(敬称略)を覚えている。 わたしは洋楽は通ってこなかったので、JOY DIVISIONは知らなかった。前座のバンドを観に行ったのである。 予定開始時刻より前倒しで始まった為、観たかったバンドの演奏は途中からだった。どのぐらい前倒しだったかは記憶にないが、「外タレすげ〜」と思ったのは覚えている。(外タレのワガママで早く始まったと思っていたので。真相は知らない。) その次の演奏が、0.8秒と衝撃。 名前のインパクトが
映画を観るときは一番後ろの真ん中に座る。 金城一紀の映画篇を読んでから、ずっとそうしている。 わたしの生まれた町に映画館はない。 電車で40分の市内へ出るか、夏休み等の長期休暇の際に公民館での上映を観るかだ。(長期休暇の前に学校で映画の割引券のようなものが配られたのを覚えている。細長いつるつるの紙で、映画のタイトルが書いてあって。) 公民館はもちろん映画館ではないのでポップコーンなんてものはない。飲食可だったかは覚えていないが、上映中になにか食べた記憶はない。それほど映画
実家を出でからずっとアパート暮らしだったが、ついに一軒家に住むことになった。庭付き、ガレージ付き、海近く、そしてDIYが可能と、わたしの条件をほぼ満たしていた。ただ予算は無計画にもほとんどなかったので、綺麗とはお世辞にも言えない物件だった。 物件の下見時にはハイになっていたテンションも、いざ引っ越してみれば本当に暮らしていけるのか不安になった。とても素足で歩ける状態ではなかったので、引っ越し業者の方たちには土足で上がってもらったりした。 家中の窓を全開にして、天井のくもの
『お久しぶりです。お元気ですか。』 ある日届いた迷惑メール。勿論返信などしない。URLもなにも付いていないそれは、少し、変だった。 『あなたはすぐ風邪をひくので心配です。ちゃんとあったかくして寝てくださいね。』 『好き嫌いはしていませんか。なんでも食べないとだめですよ。』 そのおかしな迷惑メールは、一日一通、必ず送られて来た。やはり返信はしないけれど、なんとなくそれを見るのが日課になっていた。 おかしな迷惑メールがくるようになってから半年が経った。会
「写真とかあんまり興味なかった。」 そのときぼんやりと、むかし母から言われた言葉を思い出していた。 「カメラなんかやってなんになるの。」 仕事にするならカメラを持っていいの? わたしがこどもだからだめなの? 勉強ができないからだめなの? ただ好きだからじゃ、だめなの? 結局、母にそれを追求することはなかった。わかって欲しいなんて気持ちはこれっぽっちもなかったし、母が納得するようなうまいことを言える自信もなかったから。 ある日トイカメラを触っていると、親戚のおじさ
わたしは歯医者が苦手だ。それはたぶん、こどもの頃の記憶からなんだろうけれど、歯医者はいつだって恐怖の対象だった。 その昔、母に連れられて幼稚園の近くの歯医者に通っていた。なにをされるかわかっていないわたしはただ怖くて、泣き叫んだ。大人数人で押さえ付けられ、無理矢理に口をこじ開けられた。 それが歯医者のはじまりの記憶で。こどもだったわたしが歯医者を嫌いになってしまうのも仕方がないと、大人のわたしがなぐさめている。 そうして大人になったわたしは、定期的に歯医者に行くこともな
初めてライブハウスに足を踏み入れたのは、中学三年生の時だった。 壁中に貼られたチラシ、タバコの匂い、薄暗い照明。「悪いこと」をしているような感覚が堪らなかった。 どうしても行きたいと、誕生日プレゼントにライブチケットを強請った。当時は電話でチケットを取った記憶がある。わたしは田舎町に住んでいたし、ライブなんて考えたこともなかった。けれど、わたしの大好きなバンドが、わたしの誕生日近くに、わたしが住んでいる県に来る。この機会を逃したら生では観れないかもしれない。 わたしは必至
子供の頃から地理はあまり得意ではなく、東西南北は地元の盆踊りの唄で覚えた。今自分がどちらの方角を見ているかなんてことは、コンパスのアプリか何かを使わなければわからない。もちろん地図もうまく使えない。ナビも自分の向きが矢印で表示されないと全く役に立たない。 左右すら怪しいレベルの方向音痴である。(流石に左右は認識しているけれど、咄嗟に言葉が出てこないことがよくある。老化の可能性もなくはないが子供の頃からそうなので、言葉としての左右が自身に浸透していないのかもしれない、と思った