おばけ葛に覆われた竹藪に、穴が空いている。 小動物が抜けられるくらいの大きさだ。以前からあるけれど、ここのところ、穴の形がはっきりしている。誰かが頻繁に通っているのかもしれない。藪全体の奥行きは1,2mあるかないか。幅も4mくらい。たいした規模じゃないけれど、なかに潜めば、姿は見えなくなるだろう。 2020年4月。最初の緊急事態宣言が出たとき、ここにねこが潜んでいた。 白くて、胴にすこしだけ灰色の部分のあるねこが、わたしたちの畑に行く通路を、せわしく行き来している。どこから
夏の夜は怪談話というけれど。こわーい話を聞いたくらいじゃ、この暑さはぬぐえない。 せめて空気が乾いていたらいいのに。この蒸し暑さ。 湿気→暑い→湿気→暑いのループに、恐怖するのはユーレイ、いや、つる草の存在だ。 藪となってからまり、枝の上からおおいかぶさり。刈っても刈っても、また伸びる。 やわらかい茎をしてたくましいのは、どのつる草も同じだけれど、葛はその伸び方、動き方にひるまされる。 接触先を探すかのように先端が揺れる。ほとんど動物っぽくて、じいっと見られてる、気配がある。
お昼ごはんは納豆パスタ。初収穫の小さなオクラを刻み、まぜる。 シソと三つ葉、バジル。香り系の野菜も入れる。 シソと三つ葉はせんぎり。 バジルは・・・どうもせんぎりする気分になれない。ちぎる。こととする。 なぜだろうか。 せんぎりは和食的な感じだから? バジルを細かく切ると、黒く変色しがちだから? 千切り。千切り。どちらも同じ漢字を当てはめて、それぞれ「せんぎり」「ちぎり」 と読めるのに。 この2つの間には、おおきな見た目の違いがある。 納豆パスタには、ナスも入れた。 こちら
お昼ごはんの支度をしていたら、真っ黒な雲が西からぐんぐん迫ってきた。風が強くなり、雨がさーっと通り過ぎる。 強風が短時間でおさまったことに、ほっとしつつも、もう一回吹き荒れてもよかったかも、とも思う。 数日前の暴風に、向かいの林は大荒れだった。枯葉や木切れや、ビニールの切れ端やら、得体の知れないモノが空を舞って、こちらまで飛んでくる。 午後になってもいっこうにおさまらない風の中、なんだか林が明るく見えてくる。 林の縁にそって生える山桜や小楢の落葉樹に、昨夏からの葛の残骸が絡み
ずいぶん放置してしまった。 ここも、庭も。 大きな仕事がひと区切りし、外に目を向ける余裕もでてきたので、すこしずつ再開しようと思います。 いま、わたしの頭の中をぐるぐる回っている。 ”もう、どうにもとまらない~” とまらないのは、植物だ。 こちらとしては、リハビリ期間のつもりで始めたいのに、どんどん先に行ってしまう。春前にやっておきたかった、あの手入れもこのことも、まだ追いついていない。 冬と春が行きつ戻りつの毎日に、植物は春しか見ていない。 いちど始まったら、いきおいづい
茄子、ピーマン、かぼちゃ。ささげもまだがんばっている。 いまの畑は、ちょっとさびしい。夏の名残を引っ張って食べている感じ。 秋になると、野菜のバリエーションが減るんですよね。 ちょっと困ったように付け加えた、友人のシェフの顔が思い出される。 彼のいうのは、おそらく、食感や彩りの違うものが、秋になると減る、という意味だろう。 たしかに、夏野菜のようなにぎやかさがない。 実りの秋。 言い尽くされてきたこのフレーズは、 お米と、自然がもたらす収穫物をさしているんじゃないだろうか。
夫が、お赤飯をいただいてきた。明日はアトリエに行く。 お弁当に持って行こうか。 と会話しながら、自分にびっくり。 こどもの頃から、苦手なたべものの、筆頭だったからだ。 豆がそもそも、あまり得意でなかった。 とくに甘い系。あんこもの、おはぎ、うぐいす豆の煮たの。 あとは、甘くないけど、グリーンピース。それからお赤飯。 関東育ちのわたしにとって、お赤飯はささげで炊いたもの。 もさもさした感じと、独特の匂いがだめだった。 誰でも、苦手だったものが、おとなになったら、不思議とOK
先週の花教室で、庭の雑草取りをするかどうか、という話題から、 雑草ってどんな草のことですか?、という質問をいただいた。 名前がない草、っていうのは違う。 庭にあったら邪魔な草? 繁殖力が強くて、他を圧倒しちゃう草? ずばりの答えが難しい。 ほんとうのところ、 雑草の定義は、人によって違うのだと思う。 気になって、あらためて考えてみた。 「雑」の字の解釈にヒントを得てみる。 雑に扱う。粗雑な態度。 なんとなくネガティブなイメージがついてしまうことばではある
暮らしのおへそvol.36「お風呂のおへそ」で取材いただきました。 うちのお風呂は五右衛門風呂。 というと、下駄履いて入るの!?とか、くつろげないのでは、など反応があるのですが、 薪で焚くというだけで、ふつうのお風呂みたいに入っております。 むしろ、かなりくつろげるといってもいいくらい。 「おへそ」でご紹介いただいているように、本読んだりなんかもします。 冬はあったまる感が半端ないです。 夏は夏で、ぬる湯。それもまたよしです。 こんなお風呂のおかげで、健康でいられる気が
この夏は、ひどく植物が灼けてしまっている。 わたしの住む、神奈川の北側は空梅雨だった。そこにこの猛暑。 近隣の農家のおじさんいわく、里芋の葉が枯れちゃうくらい。 昨年の暮れ、落葉を掃いて取り除くのをやめてみた。 吹き寄せられてくるのを、むしろ、木の根元や、多年草の株周りに集めることにした。 落葉のマルチング。 いままでは、次の夏が来ても枯葉が残っているのが、気になっていた。 旺盛な緑のなかでは、くたびれた感じが妙に目立つ。 くわえて、新年を、さっぱりした庭で迎えたいという
たとえば。 目的地に向かって、ひたすら歩く。 たとえば。 単純な作業をえんえんとやり続ける。 いったいいつ着くんだろう。いつ終わるんだろう。 頭の中は、終わりのことだけがぐるぐるしている。 そこに、もう4分の3は終わったよ。 と言われたときの気持ちときたら。 狐の剃刀は、わたしにとって、そんな救いの花だ。 緑の原っぱに、こつぜんと赤い花が現れる。 キツネノカミソリ。 葉の形を剃刀に見立てた名と聞くけれど、花の形も狐の顔に似ているような、似ていないような。 花のときには、
こんにちは。 雨宮ゆかです。 暮らしと花とのかかわりを軸にした花教室やワークショップ、 執筆などがおもな仕事です。 大田区で花の教室「日々花ひびはな」を開いています。 自前のアトリエになる前は、和食器のお店で、教室を開いていました。 そこでは、いわゆる作家もの、といわれる器を扱っていて、 それらに花を生ける教室として始めたのです。 いまの日々花のスタイルは、器から始まったといってもいいかもしれません。 花と器に目が行くと。 次は、どこに花を飾るか。です。 花を置く、場