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この親の元に生まれてきたのは何故か?
インタビューで尊敬する人に父親を上げている人を見かけることがある。
ぼくのように父親を反面教師としてきた人間にとっては驚くべき回答。
高校生のときに役者になりたいと親に言って
その流れでサラリーマンにはなりたくないと言ってしまって
商社マンだった父親を激怒させたことがある。
ぼくがリアルに知っていたサラリーマンは父親だけだったので
本当は、あなたのようになりたくないってセリフだった。
毎晩、帰宅すると会社の愚痴を母親に言っている姿を見て育ってきたので
当時のぼくの反応はすこぶる健全なものだったと思う。
ぼくにとっては身近にいるのに全く分かり合えない相手。
そう感じる唯一にして最大の相手だった。
愉気をしていなければ既に寿命が尽きている状態。
あまりに硬張っているので他者の話は入っていかない。
会話をすると、返ってくるのは70年前のことや、知識の披露が一方的に返ってくる。
かなり前から会話のキャッチボールは成立しなくなっていた。
世界を「ない」不足のフィルターで見ているので
TVニュースを見ると口からは不平不満があふれ出てくる。
だからあまりにも不機嫌になってきたときや
パーキンソン病が進行しないように調整はするけれど、
それ以外では関わらないようにほとんど会話は無くなっていた。
唯一、「ふれる」コミニケーションだけが続いている。
その父親に癌が見つかった。
既に死んでいても不思議じゃない程、背骨は強張り、認知機能も壊れつつあったので驚きは無い。
ただし、改めてこの人とは分かり合えることは無かったという思いが強く湧き起こってきた。
そんな考えを思い巡らせていたら
実はそんな父親の下に生まれてきたのは何故なのかに思い当たった。
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こんなに分かり合えなくて、不快に感じさせられる人間関係が身近にあったがために
自分自身のことは自分で分かってあげたい
関わった人のことは分かってあげたいって気持ちが昔から強くあるんだってことを。
目の前の人を感じていない人を見るとものすごく不快になる。
だから自分は理解しようとする姿勢を身に付けたいって。
自分をも含めて分かってあげられる人間になりたいって。
他者理解の究極の在り方を示してくれていたのが野口晴哉だった。
奇しくも闘争的な怒りが最もエネルギーが湧き起こってくる捻じれ体癖。
だから衝動的に行動するときはいつだって怒りに突き動かされてきた。
師匠以外の先生の下は全て怒りのエネルギーで飛び出してきた。
従って怒りを感じる人間が身近にいることは
ぼくのエネルギーの噴出を刺激し続けてきた。
そろそろこのパターンは終わりにしたい。
出来れば父親が生きているうちに終わらせてみたいよね。
※ぼくが絶対神だと感じた神様が語る人間関係について