見出し画像

金木犀が運ぶもの

ある朝、窓を開けると、澄んだ空気と共にふわりと舞い込んだ
金木犀のかおり。
「もうそんな季節か」
時の移ろいの早さに驚きながら、
吹き込んだ風に押し出されていく夜の淀みとともに、
何か遠い昔の風景が、心に蘇るような気がして。
それは日常の中のとてもとてもささやかな何か。

子どもの頃に暮らした2戸一の小さな家。
人々の生活を包む、似た外観の家が、
ぎゅうぎゅうとひしめき合うように軒を連ねる大阪の住宅地。
その家の前に、数本の木が植った小さな生垣があった。
今も花が好きな母にとっては、土に触れられる貴重なスペースだったのだろう。
子どもの私にとっては、ひと時暮らしを共にした小さな生き物たちが、
その命の終わりを迎えた時、冷たく固くなった身体を土に還す場所だった。
「前に死んじゃったセキセイインコのチチは、確かあの辺りに」。
その気配を感じる場所を避けて土を掘り起こし、優しく土を被せていく。
鉄のスコップのひんやりとした感触と錆びた匂い、
時折、石に当たって響くカンという金属音と共に、伝わる振動。
その生垣にも、確か金木犀の木があって、
その芳醇な花の香りに包まれて、いつの間にか無言になり、
生き物の”死”を思う時間があった。

”思い出”とラベルをつけられるような、特別な記憶ではない。
あまりにもささやかな日常のひとこま。
塵となってただ折り重なっていた時間を、
見つけ出し、
朧げな画像を一枚一枚重ね合わせ、
もう一度立体化していくかのような記憶との戯れを、
金木犀の香りは運ぶ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?