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ジャムを作る

いつの頃からか、毎朝のパンのお供になるジャムは、
季節ごとに、旬の果物を使って手作りするようになった。
子どもが産まれ、初めての子育てに、
何が正解かもわからず右往左往しながら、
何か自分なりの軸を形作るヒントを探し求めていた私は、
子育てと名のつくサークルや集まりを見つけては、飛び込み、
そこでこれまでは出会わなかった様々な人に出会った。
その中にいわば自然派のお母さんたちがいた。
天然素材の衣服を身につけ、
すっぴんに近いナチュラルな容姿をした彼女たちは
手をかけて作ることを大切にし、日々の暮らしを丁寧に紡いでいた。
常にどこか緊張感が抜けない私の子どもとの日々とは違って、
彼女たちはいつも穏やかな笑顔でいて、
開放的でリラックスして子育てしているように見え、
それでいて社会のことにも関心を向けながら、
日々の暮らしを形作る商品の選択にも、
はっきりとした意志を持っていて、とても素敵に見え、憧れた。

彼女たちの影響で、少し子どもや自分が口に入れるものを気にかけるようになり、食品パッケージ裏面の成分表示を確認するように。
とはいえ、そこに書かれているものは名前だけではよくわからないものばかり。
それでも、できるだけ私が理解できて、
シンプルな素材で作られているものを選択することが、
”安心”と感じるようになった。

でも、私の根本は大雑把で面倒くさがりの性質。
パン作りやお菓子作りに挑戦はしてみるものの、
何度やっても”楽しい”という感覚が、訪れない。
いつも「億劫だな」という心の声がどこかにあって、
そんな気持ちを乗り越えながら作るものだから、
完成した時点でもう「私、今日頑張った!」と大満足してしまい、
より良い味や作り方の探求に至らない。
その結果、いつまで経ってもそれなりで、
どこか物足りなさの残る味と形のものばかり。
そんなことをしばらく繰り返した後に、
潔く「お菓子やパン作りは、私には向かない!」と諦めることにした。

そんな中、ジャムは、多少雑に作っても市販のものよりは美味しくできる。
ペクチンの人工的なとろみも、
香料の鼻を刺すような過度に甘美な香りもなく、
しかも旬の味、季節の変化を楽しめる。
面倒くさがりの私の抱く、
できるだけ自然なもの、丁寧に作られたものを口にしたいという
相反する思いに、手作りのジャムは程よく馴染んだのだった。

しかも今、私たち家族が暮らす古家の庭には、前家主さんがせっせと植え育ててくれたのであろう、果実のなる木がいくつもある。
梅、びわ、キウイ、文旦。
だいたい2年に1度の周期で生り年、裏年があって、
生り年にはひと家族ではとても消費しきれないほどの果実がなり、
木々の枝先をしならせる。
それを喜んで収穫し、
その自然の作り出した造形を、手の中でくるくると愛でながら、
甘い香りに包まれて皮を剥き、ジャムに仕立て上げていく作業は、
一手間ではあるが、それ自体とても幸福感に満ちている。

そんなわけで
朝はパンが定番のうちに、
今日も手作りのジャムが並ぶ。

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