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そのままの姿でそこに在ること

夫の古くからの友人(男性)のことです。
初めて紹介されてから15年ほどたちます。

当時の職業柄、たくさんの方に一定期間深く接することが多かったので、大体、こういうタイプの方、というのが自分の中で比較的すぐに掴めていました。(長く付き合っていっても、最初の印象と大きくずれることはありませんでした)

それが、その人は全くつかめませんでした。
その日のことは、その人があまりにも分からなくて、はっきりとした記憶として残っています。
全く悪い印象はないのですが、今まで会ったどの人にも感じたことのない分からなさでした。

夫の友人だし、自分の中でどういう人か分からないからといっても、何も心配なことはなく、謎というか、不思議な人ではあるけど、そのまま付き合っていけばいいな、と思っていました。

まさか15年後にその人の在り方に憧れて、文章にしようとは。

一年に数回、家に遊びに来てくれたり、お互いに家族が増えたり、家族ぐるみでずっと付き合っています。

長く付き合っていく中で、口数は多くないけど、自分の思ったこと、感じたことを、いつも自分のことばで静かに伝えてくれることに気づきました。

飄々としているようで、息子の植物好きを覚えてくれていて、自宅にあるオジギソウを鉢に分けてもってきてくれたこと。
その袋の底にちゃんと倒れないように厚紙を工夫した形で切って敷いてあったこと。

かなり個性的な息子のことも、いつも、その時のそのままの状態を、そうか、君は今こうなんだね、と程よい、あたたかな関心をもって、接してくれていること。

好きな絵本作家さんがたまたま私と同じだったこと。
(「俺は猫好きでもないのに、このタッチとこの目がよすぎて、買ってしまった」と全く照れずに教えてくれました)
そして私が持っていないその作家さんのおすすめの絵本を後日贈ってくれたこと。

紹介してくれた結婚相手の方が、朗らかで穏やかで、あたたかな日だまりのような、とても素敵な人だったこと。
いつもあまり表情を変えないその人が少し照れながらも、とても幸せそうだったこと。

「仕事の関係で海辺に行ったとき、手のひらを広げたくらいの大きさの松ぼっくりがあって、いい形を選んで毎日持って帰って、ダンボール箱に2箱分保管しているんだよ」
と、これまた全く照れずに当然のことのように教えてくれたこと。
どんぐりも、いい形のものを選んでビニール袋に2袋分もっていること。
虫止めのために熱湯消毒をするとツヤがなくなってしまうんだよ、ととても残念そうに話してくれたこと。

果物とか野菜とか、食べ終わった後の種をつい植えたくなって、育てていること。

自分の息子のためにカブトムシを育てていたら、どんどん増えていって、幼虫が100匹以上になり、市役所に電話をしたら小学校で配るから、と喜んで引き取ってもらって助かった、と話していたこと。
その横で奥さんが優しく苦笑いをしていたこと。

15年かけて、少しずつその人らしさのカケラを集めていって、今年、そっか、とやっと腑に落ちました。

この人は、誰かにこう見せたい、とかこう見られたい、とか、こうあらねば、とか、そういうものから無縁の人なんだな、と。

そして関係する相手のことも、付属するものは全く関係なく、目の前にいるその人をそのままの状態でみて接しているように感じました。

自分の宝箱にいれた宝物をずっと大事にしながらすくすく育っている子供のような。
自分の美しいと感じるもの、いいと思うものにまっすぐな芸術家のような。

そう思って、初めてあった日のことを思い出すと、
ただ、その人としてそこに在った、のだと思います。
例えば森の木のように。
そして、私のこともフラットに、そのまま見てくれていたのだと思います。

今年の夏、みんなでたわいもない話しをしながら、私の中で謎が解けていきました。

年齢とともにいろんないらないものを手放していきたい、と思っています。
それは物だけでなく、こう見られたい、こう思われたい、など美しくない欲も。

お手本のような素敵な人がここにもいたんだな、と、とても嬉しく感じた一日でした。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
みなさんが、安全な日でありますように。







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