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202502 変わりゆく日々
20年以上前から好きで、思い出して最近よく聴いている人のライブのお知らせがSpotifyから届く。
今までも色々な人のライブのお知らせが届いていたけど、自分には関係ないこと、と流していた。
中学生の頃から洋楽がずっと好きで、妊娠前はライブにもよく行っていた。
特に、独身時代、やりがいはあれど、なかなかに厳しい環境で仕事していたときには、自分の芯を保ち続けるための、心の糧にもなっていた。
出産後、母親のことが大好きな小さき人と暮らして、たまに一人で出かけるのは、明るい時間帯。
でも、そう、この前、どうしても映画館で観たいフランス映画が夜にしか上映されていなかったので、家族に相談し、行ったのだった。
小さき人が眠ったあと、帰宅したけど、大丈夫だった。
おや、もしかして、ライブ、行けそう。
同じく音楽が好きでライブもわりとよく行っている家族が反対するはずはない。
小さき人も、最近はどうにもこうにもお母さんべったり、でもない。
年に1、2度、もしくは半年に1、2度、こういう日があっても、そろそろいいのかも。
やったー、久しぶりのライブ!
その人の声を、同じ場所で聴くことができる日がくるなんて。
その人の声は、柔らかい光の粒のように心と身体の中に入ってきて、すみずみまで染み渡るよう。
その時、その場で聴くことができたら、私の
内側は生まれ変わってしまうかもしれない。
人はそれを命の洗濯というのかな。
小さき人は、少しずつ、でも着実に、確実に成長している。
お母さん、いつも、いつでも一緒にいて、という時代が終わりつつあるのを感じている。
一歩離れて、半歩もどって。
二歩離れて、三歩もどって。
三歩離れて、また一歩踏み出して。
そんな風にして、少しずつ、自分の人生をひとりで歩き始めた彼の日々をみていて。
私も、人生のいろんな場面を味わい続けたいし、自分の世界を深めていきたいと思っている。
まだ私がそばにいた方がいいこともあるけど、彼をみていて、大丈夫そうなら、存分に味わってね!と、手を離して、応援できる人でいたい。
子ども、ではあるのだけど、もしかしたら小さき親友、という方が近いのかもしれない。
私も、小さき人に恥ずかしくないように、ちゃんと、自分の人生を生きている人、自分の人生を愛している人でありつづけたいな。
そんなことを思っていたら、学校からお迎え要請の電話が。
一人での登下校、苦手な三学期、疲れも溜まってきているんだろうな。
いろんなことを自分で引き受けるようになって、乗り越えたり、疲れちゃったり、毎日、頑張っているんだな、すごいな、と思いつつ、迎えにいく支度をする。