世界平和、そのための心がけについて
街を歩いていて落ちているゴミを拾うことがある。と言っても、見て見ぬ振りをすることがほとんどなのだけど。まったく拾わない人も多いと思うので、まあ多少は環境美化に貢献していると言えなくはない。地球をきれいにしようというわけではなく、目に見える範囲がきれいであればいいなと思っている。
世界平和。唐突に出てくると唐突極まりないワードだ。それでも僕はこの言葉を20代のころから口にしている。とある就職面接で経営者から「これから何をしたいですか」と聞かれ「世界平和です」と答えたところ、鼻で笑われてしまった。奇をてらった回答だと思われたのかもしれない。けれども僕は本気で世界平和を実現したかったのだ。
と言っても、そんなに大げさな話ではない。ここで言う「世界」は「目に見える範囲の世界」であって、戦争をなくすだとかそんな大きなことは考えていない。自分に力がないことは自覚している。せめて目に見える範囲の世界を平和にしたい。ただそれだけだ。最近ではZOZOの前澤さんが「世界平和」について発言しているけれど、僕の世界平和はもっとスケールが小さいと思う。
とりあえずは自分自身の心が平和であることが大切だ。怒りだとか敵意だとかを人に向けない。穏やかに日々を過ごす。多様性を許容するということも重要で、いろいろな考え方を持った人がいることを受け入れる。理解ができなくても受け入れる。敵対はしない。それはわが子に対しても同じで、自分には理解できない考え方をしていてもそれを受け入れる。怒り先行で子どもに接しない。そうすれば家庭や仕事上で争いが起こる可能性を抑えることができる。
僕は世界平和の中に「街がきれいである」ということも含めている。これもまた大げさな話ではなくて、町中のゴミを拾おうという考えは持っていない。例えば100個のゴミを見かけたときに1個だけ拾う人が100人いたらどうだろう。街から100個のゴミが消える。ひとりひとりがすべてのゴミを拾う必要はない。100個に1個だけ拾えばいいのだ。そんな人たちが増えれば街はきれいになる。
ひとりひとりが努力せずに世界が平和になればいい。完璧に仏のような心で過ごすのは難しいけれど、負の感情を外に出すのをいくらか抑えれば、それだけ身の回りの世界は平和になる。大きなことをしようとして挫折するよりも、まずは小さな一歩を踏み出せばいいのだと思う。それを「世界平和」と言ってしまえば、なんだかすごいことをやっている気分にならないだろうか。
「シングルパパ起業家はがんばらない」が本になりました。